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読評 「本のエンドロール」(安藤祐介 著)

 

「エンドロール」といえば、映画などで最後に流れる出演者や制作者・協力者などの字幕をいう。

本には、著者が「あとがき」で編集者たちの名をあげて出版の謝意を表してることはある。それ以外は、「奥付」に発行所・印刷所・製本所名があっても、具体的な職掌の担当者は書かれていない。そういうことでは、本にはエンドロールはない。

 

それなのに、この小説が「本のエンドロール」という題名なのは、本を作っている裏方たちを描いて、いわば「お仕事小説」だからだろう。

もっとも、この本では、最後になる見開きの2ページで、実際に出版印刷製本に携わった各分野の35名を「STAFF」として紹介し、エンドロールの面目を施してはいる。

 

この小説では、本の出版業とその背後を支える印刷業は、電子書籍の登場でかつての盛況はなくなり、新時代の中で衰亡していく予感がある。それを、印刷会社の営業で働く主人公をはじめ、いわば本好きの連中が、危機感を持ちながら、それぞれの仕事に励む姿や家庭を描く。それはいわば、それそれが働くことの意味を問うことでもある。

 

福沢諭吉は、「世の中で一番楽しくて立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つと云う事です」という。いわば天職に携わる幸福を説いている。だが、これは私の天職ですと胸を張る人は、仕事人の割合ではどのくらいだろうか。私は特別な仕事に就いている人以外は、それほど多いとは思えないのだが・・・。

 

人々が働くのは、たいていは金を得るためで、それは当然ながら非難することではない。福沢諭吉風に言えば、そこから一歩踏み込んだところに、たとえば仕事を通した喜びが湧いてくれば、それは仮に天職でなくとも、十分に価値ある人生ではなかろうか。

 

この小説は私にそんな思いにさせた。それでいうなら、私のような老人ではなく、これから生きる若者に読んで欲しいと思う1冊だった。

author:u-junpei, category:読評, 23:32
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読評 「五年の梅」(乙川優三郎 著)

 

小説を読むときに、本屋に出向くことがあれば、パラパラめっくって読書意欲が湧くかどうかをみる。そうでなければ、新聞の書評を参考にしている。最近は図書館で借りることが多く、後者が断然多くなった。

 

ところが、この本は私が留守のときに、山友が置いていった。したがって、全く前知識がない。作家も知らないし作品を読んだこともない。もし、帯のコピーにある『人生に近道などなかった』に興味をひかれなければ、この本を読むのも、それこそ「遠回り」したかも知れない。

 

この本には時代小説の短編が5編納められている。本の題名になっている「五年の梅」はその中の1つ。本は2001年に山本周五郎賞(第14回)を受賞している。賞としてどの作品が評価されたのかは分からないが、帯は「五年の梅」をあげているから、おそらくこれが主編なのだろう。

後で知ったことだが、時代小説家の山本周五郎の名を冠した賞でありながら、時代小説で受賞したのはこの作家が初めてだったという。

 

私は、時代小説フアンというほどではないが、嫌いではない。特にいえば、藤沢周平の「蝉しぐれ」や、山本一力の「あかね空」は好きな小説だ。それで、これらを読んだ後では、時代小説を読んで面白かったどうかは、これらが私の比較基準になっている。

 

「五年の梅」は最後まで読まないと、なぜ「五年」で「梅」なのか分からなかった。そういう意味では、他の短編も題名の付け方は、最後まで読んでなるほどと思うようになっているようだ。

 

たとえば、最初に納められた短編は「後瀬の花」という。「後瀬」は「のちせ」と読ましているが、私は「ごせ」って何だろうと思って読み始めた。

これは、いがみ合う男女が登場人物で、金を着服して逃亡している責任を押し付けあっている。私はこういう話は嫌いで、この作家はこういう醜さを描くのかと、危うく先入観に陥るところだった。

ところが、この2人は、追っ手から逃げて、崖から飛び降りていた。物語の最後に来て読者は初めて、この2人は亡霊なのだと知る構成だ。2人はお互いをののしりあったあとで、ふと冷たい体温を感じ、まだ生きているかも知れないと、2人して崖下に下りてみようとする。それで、作家は、ちっぽけだが、どうにもならない人生の悲哀を描いたのだと分かる。

 

最後に収録されている「五年の梅」は、他の4編とはちょいと毛色が違っている。猪突猛進型の若侍が主人公で、どうやら、正義感ばかりがはやり、体力勝負で頭はあまり良くないのだろうなと思わせる。

藩主に直情的に諫言したことから蟄居生活を命じられるが、だんだんと生きる為にはどうしたらよいかを学び始める。さらに好きだった女が不幸な結婚生活に沈んでいるのを知り、それを助け出すために知恵を絞るようになる。この辺りから、物語の真骨頂になるのだが、作家は若者が落ち着いた大人の男になっていくのを描き、読者に安心感を持たせるのが良かった。

 

この作家の特徴は、この本に限るのかどうか、他の作品(「行き場」・「小田原鰹」・「蟹」)の登場人物もけっこう醜い性格や情況に描かれる。それは生来の環境からだったり、人生の途中のふとした行き違いだったりするのだが、いずれもどうにもならないふうにまで描かれる。

それが物語の最後には、生きるにせよ死ぬにせよ、読者がホッとするように変える結末がある。私には、これが作家の持ち味のように思えた。

author:u-junpei, category:読評, 00:11
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読評 「そして、バトンは渡された」(瀬尾まいこ 著)

 

本書の冒頭シーン、主人公森宮優子は高校2年生で、担任の向井先生との進路相談の場面から始まる。

先生は「困っていることや、つらいことはないか」と優子に尋ねる。

 

読者は、優子が3歳で実母を亡くし、小学2年生のときに2人目の母や、実父を含め3人の父親に育てられた来たという知識があるから、先生が聞きたいところも分かる。

優子は困っていることなどは全くないと答えている。一般的に見ればフツウでなく、さぞかし辛いこともあるだろうと思うような状況設定だ。

ところが、優子はウソをついている様子ではない。となると、私としては、物語がこれからまともな展開をするのか心配になる。この小説が、作家の思いつきの面白さだけで底が浅く、読書の時間を浪費するだけではないかという心配だった。

 

5人の父母の関係で、優子が17歳になるまで4回も苗字が変わったというのは、フツウの実生活にはありえないような筋立てだろう。作家は、それを2度目の母「梨花さん」の個性的な生き様を描くことでカバーしている。

梨花さんは、2度目の再婚相手の森宮さんに優子を託して森宮さんとは離婚してしまう。その後は、これまでと違い全く連絡が途絶えてしまう。

この間の事情は物語の最終章になって明かされる。そこで語られる優子に対する梨花さんの思いは、そういう人物がいてもよいかもと、妙に納得させられてしまう。

 

物語は3人目の父親「森宮さん」と高校生の優子が織り成す日常生活が中心になってる。若いのに(優子とは20歳の年令差)懸命に父親役をする森宮さんと優子との会話は軽妙だ。

 

ムリ筋の設定は、作家の力量が試されるところだろうが、最後まで読んで私の心配は杞憂に終わったと言っていい。作家の得意とする青春小説に、ユニークな1冊が加わったと思う。このままドラマ化しても、中高生には受けそうな雰囲気があった。

 

あえて言えば、ジジイの私には、世間はそんなんではないとかなんとか、多少の突っ込みどころがあってる読んでるのだが、優子にイジワルな女子高生以外は、悪人が登場しない良質のエンタテイメントで面白かった。

author:u-junpei, category:読評, 18:18
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蚊逃草

 

夏になると、庭に出るのが憂鬱になる。蚊が寄ってくるからだ。

長くいるときは、蚊取り線香を腰にぶら下げたり、蚊除けスプレーの対策をするが、大きな藪蚊が平気で吸血に来る。そう分かっているのに、ほんのちょっとのときは、つい面倒で何もしないで出てしまう。すると、あっという間に数ヶ所は確実にやられ、自分の懲りない甘さが嫌になる。

 

花苗を求めるつもりでホームセンターに行ったら、「蚊逃草(かにげそう)」という名札のついたポットが売られていた。置いておくだけで蚊が逃げていくなんて、こんな便利な植物があるとは知らなかった。

早速購入し、鉢に植え替えて庭に置いた。ところが、蚊は一向に逃げる様子はなく、やはり刺されて痒い思いをした。この原因は鉢の数が足りないのかと思い、増やし方をネットで検索したのだが・・・

 

ネットでは、「蚊連草」とか「蚊嫌草」という名で出ている。これは香りハーブのゼラニウムとシトロネラールの勾配種で、どうやら、私の「蚊逃げ草」はローズゼラニウムという種らしい。  

蚊除けのメカニズムは、葉からでる香り成分が、蚊の二酸化炭素をかぎ分ける能力を失わせ、人間が出す二酸化炭素を分からなくさせ、それで蚊に刺されなくなるということのようだ。

 

しかし、蚊が二酸化炭素発生源に寄って来るというのは、これまでのいわば通説だが、最近、高校生が研究し、蚊の被害にあう原因は、足の裏にいる細菌と判明したようだ。これは学者には目から鱗のようで、学会でも高く評価しているらしい。

だとすれば、蚊逃草といおうと蚊嫌草といおうが、前提になっている蚊の二酸化炭素効力云々自体が、かなりアヤシイということになるのではないか。

どうやら、蚊逃草を増やしたとしても、あまり効果は期待できないかもしれない。

 

それにしても、「蚊連草(かれんそう)」というのが、この植物を指す一般的な和名のようだが、私の目下の関心は、この名前の由来に移っている。

「蚊が連ねる」なのか「蚊を連ねる」なのか、どちらにしても「連」のイメージが分からない。先賢に学ぼうといろいろ検索を試みているが、答えはまだ見つからないでいる。

author:u-junpei, category:雑記, 19:00
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読評 「キラキラ共和国」(小川 糸 著)

 

NHKラジオの新日曜名作座は、夜7時20分から30分間放送している。西田敏行と竹下景子がそれぞれ男女役になり、数人の登場人物を演じ分けているのだが、二人の個性のせいか、けっこう面白い朗読劇になっている。

 

先月、買い物途中の車中で、たまたま聴いていたら、西田が「ポッポちゃん」と呼びかけたり、竹下が「QPちゃんのお手紙」とか言うセリフで、『ツバキ文具店』だと分かった。

ところが、内容が私の知っているのとは違うようだ。

http://blog.kiriume.com/?eid=1223420

聴いている途中でスーパーに着いてしまったが、続編が出たのかと思い、ならば、本で読めばいいと、買い物を済ますことにした。

 

『続・ツバキ文具店』だろうと検討をつけて検索したら、該当するものがない。念のため番組をチェックしたら、やはり『続・ツバキ文具店』になっている。色々しているうちに、続編の題名は『キラキラ共和国』だと分かった。

作家は何故、今までとは無関係のような、とっぴもない(?)タイトルにしたのだろう。そんな興味もあって、図書館に予約を入れた。

 

前作の『ツバキ文具店』が手元にはないので、しっかりした比較ではないが、この『キラキラ共和国』では、作家の文章がこれまでより弾んでいるようだ。陰影のあった鳩子も、明るく饒舌になっているような気がする。

この新作では、雨宮鳩子が結婚し守景鳩子になったところからスタートするので、いわば文体も新婚風にというわけだろうか。

 

前作と同様、鳩子が手紙の代書を商売にしているのは変わらない。ところが、前作では依頼を受けた手紙の後日談が必ず語られていたが、今作ではそれがない。

これは、結末を読者の想像に任せることにしたのか、あるいは後日談を3作目に予定しているのだろうか。

 

鳩子の母親が、レディ・ババとして異常(?)な登場をするが、これは唐突感を免れなかった。しかも、この話も中途半端に終わっている。やはり次回作がないと、小説としても完結しないだろう。それにしても、これを出版戦略にしているなら、なんだかな〜とは思う。

 

『キラキラ共和国』の「キラキラ」については、最初と終わりの方の2ヵ所で触れられている。なるほど〜ではあるが、未読の読者の為にここでは触れないでおこう。

ちなみに、続編を楽しもうと思ってる読者なら、ラジオ番組のように『続・ツバキ文具店』の方がしっくり来ると思うのだが・・・

author:u-junpei, category:読評, 20:20
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トリの交尾?

 

最近、渡良瀬遊水地に桑の実採りに出かけたことは、このブログで「アメリカシロヒトリ」の画像で紹介した。

そのとき、桑の木にやはり大量に見たのが、繁殖期を迎えている画像の昆虫だった。

 

運良く(?)相手を見つけたのも、そうでないものもいて、自然界のオキテは厳しいものがあるなとか、人も例外ではないなと思いながら写真を撮った。

 

この昆虫はコガネムシで、緑色した金属光沢が美しいが、ガーデナーにとっては根や葉を食い荒らす害虫で、嫌われ者になっている。

♂♀は外見では分からないが、上になっているのが♂だろう。昆虫に限らず、たいていはそうだ。

 

 

そんな昆虫の観察をした後日、館林パークゴルフ場で休憩していたとき、上の画像の様子を眺めていた仲間が、トリが交尾しているようだと言った。

私は鳥が交尾しているのを見たことはないが、そう言われてみると妙に納得できる。クチバシのある頭も体も羽も、ありありとそのように想像できるところが面白い。

 

これは、もともと2本の木で、パークゴルフ場と隣り合うフツウのゴルフ場との境で、2.30mほどの帯状に夏草が繁茂している中に立っている。

 

春先には白い花が咲いていて、ニセアカシアだろうと思っていた木だ。今ではツル性クズが樹木全体を覆ってしまい、樹木にとっては気の毒な状態ではある。

 

河川敷で、誰が植えたわけでもなく、自然に生え大きくなったのだろう。深い下草の中は、ケンケン鳴いている雉の棲み家であったり、イタチがちょろちょろしているのを見たこともある。

まあ、ヘビもいるだろうから、あまり近づきたくはない場所ではある。

author:u-junpei, category:雑記, 19:26
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読評 「草花たちの静かな誓い」(宮本 輝 著)

 

図書館で借りたい本があって、前もって検索し、貸し出しOKを確認して出かけた。ところが、着いてみると既に貸し出されていた。

こういうこともあろうと、さして腹は立たなかったが、せっかく来たのだから書棚を見て回った。

 

宮本輝の棚にまだ読んでない本があった。それが今回取り上げた「草花たちの静かな誓い」という小説。彼の作品にしては、やけに長い題名で、しかも草花を擬人化してるようなのが気になった。

 

これは新聞に連載(2014年3月〜2016年8月)されたのを単行本にしたもの。

内容は、米国人の実業家と日本人の妻がいて、彼等の娘が六歳の時に誘拐されてしまう。アメリカでは年間百万人が行方不明になり、その内の85%が子どもだという。これ自体驚きの数字だが、さらにアメリカ社会は貧富の差が激しく、それは夫婦の豪邸ひとつを例にあげても日本の比ではない。だが、彼等はいわば勝ち組だろうが、それが常に幸せを伴うわけではなさそうだ。

 

事件から二十数年の月日が経ち、その間に夫は癌で先立ち、妻もその数年後に日本での旅行中に突然亡くなる。前もって遺言が作られていて、自殺かと思われたが病死だった。妻の甥の小畑弦矢が大豪邸を含む四十数億円の遺産を相続する。その遺言書には、娘が見つかったなら、その7割を娘に渡してくれとあった。これがこの小説の発端になっている。

 

したがって、この物語の主人公は小畑弦矢(夫婦の援助を受け、南カリフォルニア大学の大学院卒でMBAを取得し、日本に帰国していた)で、叔母の死後、病気で亡くなったとされていた娘が、実は誘拐されていたことを初めて知る。

この辺は話の筋に違和感を覚えるが、ともかく、彼はその娘探しを、偶然知りあった私立探偵に依頼する。

案外なことに、探偵は娘が生きていることを、事件当時のビデオフィルムから割りと簡単に発見する。これまで夫婦が莫大な費用を掛けて、さんざん探していたにもかかわらずにだ。

 

実は、誘拐を仕組んだのは妻の仕業だった。彼女は二十数年間それを秘匿する。それは何故だったか。誘拐事件には当然ながら協力者がいたわけだが、物語は俄然ミステリー小説の趣で、その謎解きの様相になる・・・

 

読後感を、あえて断定してしまえば、作家の他の作品と比べると、あまり優れた作品とは思えない。

着想は面白い。だが、題名につながるモチーフがイマイチはっきりしない。弦矢と叔母に共通する逸話があるのだが、どうして「草花の誓い」になるのか、私には納得できなかった。

おそらく、作家が題名で意図したものは、彼の得意とする宗教的な暗示の類なのかも・・・興味ある読書人のために、ここには書かないでおこう。

 

作家の他の作品のように、この小説が上下卷になるような長編物だったら、もっとディテールが生かされて、面白いものになったのではと思われた。

たとえば、作家が作品ごとにテーマにして語る薀蓄は、この小説では叔母の作る「スープ」だ。しかもそれを、弦矢と探偵は、企業を立ち上げて商品化しようとする。ところが、その計画の具体性は、弦矢がMBA取得者であるにしては、かなり端折られている。

また、この小説では、最も大事であろう誘拐者と娘の生きざまや、その間の叔母夫婦とのかかわりにも、同様な物足りないなさがあった。叔母夫婦と誘拐者夫婦は親しい間柄で、特に夫同士は商売上のつながりもあるのに、全く没交渉というのはありえないだろう。

宮本輝作品としては、新聞小説であるにしても、それらを描くには短かすぎたのかも知れない。

author:u-junpei, category:読評, 19:19
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読評 「山の霊異記」(安曇潤平 著)

 

図書館の新刊本の棚に、この本があった。この著者の本は初めてだが、名が私のペンネームと同じだったので、思わず手に取った。

それに、山の怪異譚は、幽霊話など怖いものみたさもあって、そう嫌いではない。

 

この「山の霊異記」は22の話が納められている。副題に「ケルンは語らず」とあるのは、その中の1話で、雪山でケルンの傍らで遭難死した男が、婚約者に渡そうとした指輪を、ケルンに隠し置いたのではないか・・・という話。男のザックの中に指輪の箱だけが残されていたからだ。

夏になって、追悼登山した婚約者はそう思い、ケルンをなでるようにして探すのだが見つからない。

 

その話の最後で著者は、男が死んだのは雪山だから、ケルンは雪の中に頭だけのぞかしていたのでは推理する。とすると、指輪は天辺のほうにあるかも・・・悲哀が込められた話になっている。

 

他には幽霊譚が多いが、怖いものもそうでないものもある。幽霊を見るのは男が多いのは、著者が男だからだろう。

 

男がテントで寝ようとしていると、絶世の美女が現れる。もちろん幽霊なのだが、交わりを持ってしまう。

男はその経験が忘れられず、それ以後何度も北アルプスの同じ場所でテント泊し、その女と会うようになる。男の友人は生気を吸われて死んでしまうからやめろと忠告するのだが・・・

どうやら、女のほうが、このごろ生気(?)を失いつつあるようで、実は心配しているのだと男は友人に話す。

「美人霊の憂鬱」という話だが、これには思わず噴出してしまった。

 

作者がどうやってネタを仕入れているか分かる話もある。

京都長岡京殺人事件がそれで、1979年にワラビ採りにきた主婦二人が山中で惨殺された。犯人が分からないまま1994年時効になった。私はネットで検索し、本当に起きた事件だと知った。

 

話では、2人の若い山ガールが、気味の悪い男にしつこく話しかけられる。ところが、その直ぐ後を登って行く著者は、なぜ彼女たちが急に早足になったのか分からない。山頂で著者は事情を聞き、下山を共にする。

 

この「悪い人」という話の最後に、事件のことを書いている。殺された主婦Aのポケットから、『オワレている たすけて下さい この男の人はわるい人です』と書かれた買い物レシートが出てきた。この走り書きも、検索して本当だと知ったときは、かなりゾッとした。

 

山の怪談や幽霊話は、私はある程度は信じている。幽霊の正体見たり枯れ尾花ということもあろうが、説明できない現象というのは実際にはあるのだ。

 

登山家の田部井淳子さんの話だが、前を行く先輩たちが、次々に誰かと挨拶をしている。ところが、彼女は誰と挨拶を交わしてるのか分からない。それで聞いてみると、さっきすれ違ったでしょうといわれた。彼女はすれ違っていない・・・

 

ちなみに、私も、山の経験といえば里山くらいで、霊感もないほうだが、不可思議な事(人)に遭遇した経験が何度かある。私一人で登っているので、遭遇した事実の証明ができないのだが・・・それって、いつまで経っても鮮明に覚えていて、始末がわるい。

author:u-junpei, category:読評, 23:59
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ナス科の野菜

 

夏野菜が育つ私の小さな菜園では、ナス科の花が自己主張してる。ナス以外でも花の形からナス科だろうとは思うのだが、意外な仲間もあって不思議な気がする。

 

例えば、上の画像はナスの花だが、下の画像はジャガイモの花。

 

 

私には、地上の茎に実るナスと、地下の塊茎を食用にするジャガイモが、同じ科に属するのだとは思えない。なるほど花の特徴は、どちらも5弁の花冠になっていて、中央にメシベが突き出ている様子はよく似ている。

 

 

上の画像はトマトの花。下の画像はピーマンの花。

 

 

トマトとピーマンも同じくナス科である証拠に、花の特徴は同じく5弁の花冠になっている。しかし、トマトの実は中身がつまっているし、ピーマンはがらんどうになっているので、素人目にはやはり違う科に思えてならない。

ところが、トマトもピーマンも輪切りにしてみると、中は五角形をしている。それで、なるほど〜とは思うのだが・・・。

 

植物を体系的に分類するのに、従来は花や葉の外見や進化の過程を考えて行う分類方法だった。

ところが、最近はゲノム解析によるAPG分類体系が当たり前になっている。マクロからミクロへとでも言おうか。だから、古い教育を受けた私には、従前とは科目が異なりなんだかな〜と思うことも多い。

 

PAGでナス科の分類がどうなっているかは知らない。だが、花で分類する従来のやり方でも、私は不思議に思うくらいだから、家庭菜園でやってる分には、分類などどうでもよいことかも。

author:u-junpei, category:-, 20:02
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「アメリカシロヒトリ」と「桑の実」採り

 

渡良瀬遊水地に、桑の実を採りに出かけた。

北エントランスから入り、2車線の直線道路を1.5キロほど行くと、旧谷中村への右折路がある。そこを越えて、さらに真っ直ぐな道路が続く。その1キロほどの両サイドが大きな桑の木の並木になっている。

 

驚いたことに、この桑の木のほとんどがアメリカシロヒトリの幼虫のコロニーになっていた。所々ではなく木全体が巣で白くなっていると言っても大袈裟ではない。しかも、この並木は大木だから、凄まじいという表現がぴったりくる。

 

谷中村入り口の手前では、車道の両サイドにある歩道の草刈を大々的に行っていたが、アメリカシロヒトリの駆除の方が優先されるべきじゃないだろうか。

 

 

桑の木は雌雄異株で、この並木では桑の実がなる雌株は5対1くらいで少ない。フツウはどうなのだろうか。

しかも、アメリカシロヒトリは雌株の方に、より多いように思われた。まさか、アメリカシロヒトリが桑の実を好むとは思えないが・・・ 

 

手を伸ばして採れる範囲内にも巣があるので、けっこう気持ち悪い。でも、わざわざ来たからには少しでも採りたい一心で、端まで往復した。

ここで採れた量が少ないので、次に旧谷中村に行ってみた。

 

ずいぶん前になるが、旧谷中村をぐるぐる歩き回り、田中正造たちが決起したという雷電神社や延命院跡も見に行ったことがある。そこへの細道に若い桑の木が植えてあったのを思い出したからだ。

 

思いのほか桑の木が大きくなっているのに驚いた。なるほど、養蚕に使われなければ、成長の早い桑の木は、あっという間に大木になってしまうのだろう。

ここもアメリカシロヒトリにやられていたが、採取に来た人がなかったのか、ようやく、まとまって採ることができた。桑の実酒を作るには十分な量を確保できたが、もう、こんな状況で桑の実採りはしたくないものだ。

 

だが、これも殺虫剤を撒いていないゆえだろう。考えてみれば、アメリカシロヒトリが大量に生存しているということは、かえって、ここの桑の実が安全である証左かもしれない。

 

それにしても、除草に税金をかけるなら、除虫した方がよっぽど良いように思う。なにしろ、このエントランスは車で入っては来るが、歩く物好きはまずいない。多少草が生えても美観を損ねるくらいだ。

上から、アメリカシロヒトリが降って来るような場所は、あまりに自然すぎる。虫嫌いには、あるいはそうでなくても、アメリカシロヒトリの大発生はおぞましくて、二度と来る気にはならないだろう。

 

ちなみに、最近の子ども達は虫嫌いが多い。それも半端でなく怖がる。ほんの小さな虫が教室を飛んでも大騒ぎしている。蝉なんか怪獣みたいな顔で、私は面白いと思うが、彼等には怖くて、捕まえるどころか見るのもダメらしい。そんな中学生の男の子に、上の桑の実の画像を何の虫か分かるかと言って見せたら、卒倒するかと思うほど嫌がっていた。

author:u-junpei, category:雑記, 22:00
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