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読評 「14歳からの数学」(佐治晴夫 著)

 

2019年8月に出版されたばかりで、図書館の新刊書コーナーにあった。

14歳といえば中学2年生だが、私の塾生にも何か役立つものでもあればと思い借り出した。

副題に「佐治博士と数のふしぎの1週間」とあるように、内容を月曜日から日曜日の7つの項目に分けてある。1日1項目なら読み終えやすいだろうと見当をつけたのも、借り出す理由になった。

 

だが、読み始めてまもなく、それが安易な考えだと分かった。書かれている数学の内容は、中学生どころか高校生、あるいはおそらく大学生の範囲まで含まれている。こうなると私の目的には合わなかったし、出てくる数式も分からないので読み飛ばしたりもした。

また、数学用語には、当然分かってるでしょうを前提にするのではなく、対象が中学生であるなら、もっと説明があっても良いと思った。例えば木曜日の『2次方程式』の項で、2次方程式を解く「根の公式」を導く過程を説明しているが、これは中学では「解の公式」と呼ばれている。公式の導き方も、私の使っている中学の教科書に出ている方法とは異なっている。現役の中学生には『えッ』となるのではないかと思った。

 

私は中学生に「根の公式」という言い方をしたことがない。ネットで調べたら、どうやら「根」と「解」では視点が異なるらしい。2次方程式では「解」の方を使うようなのだが、どうなのだろう。

 

内容は概して、14歳の中学生には、難しいだろうと思った。それでタイトルが『14歳からの』となっているのだろうが、思い切って14歳に限定して、分かり易い内容に限定していたらよいのにと思った。

そう思って、著者のプロフィールを改めて見ると、『14歳のための物理学』、『14歳のための時間論』、『14歳のための宇宙授業』というように、なぜか14歳に限定したタイトルの本を出している。

 

これを見て、なるほどと思った。この『14歳からの数学』は、これら『14歳のための・・・』の集積だったのかも知れない。だから、本書では、物理や時間や著者が専門とする宇宙の『ゆらぎ』理論に触れられていたのだろう。もっとも、その多くは私には理解不能だったのであるが・・・

 

「あとがき」の最後に

  ーー数学は論理の音楽であり、音楽は情緒の数学であるーー

とある。引用が無いところを見ると、これは著者自身の言葉なのだろう。

 

おそらく、含蓄深い言葉であるように思うのだが、私は音楽に疎いのでよく分からない。もしかして、これに共感できないと、高等数学は理解できないのかもしれない。

いくら『14歳から』とはいえ、高齢者の私には手遅れかと・・・残念ながら、若い人に期待するよりない。

author:u-junpei, category:読評, 16:16
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読評 「交通誘導員ヨレヨレ日記」(柏耕一 著)

 

表紙に『当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから 現場に立ちます』とある。ちなみに、著者のプロフィールには

『1946年生まれ、出版社勤務後編集プロダクションを設立。出版編集・ライター業に従事していたが、ワケあって数年前から某警備会社に勤務。七三歳を迎える現在も交通誘導員として日々現場に立ちながら、本書のベストセラー化により、警備員卒業の日を夢見ている』そうだ。

『ワケあって』とあるが、その「ワケ」なるものは、家族構成を含めて本文に率直に書かれている。警備員をしているのは、この業界は人手不足で、かなりの高齢者でも採用されるからだそうだ。その辺のいきさつにも興味深いものがある。

ともあれ、私がこの本を読もうと思ったのは、私も高齢者の一員であることが一番の理由であった。

 

タイトルが「日記」とある。それで、著者が警備員として体験した「業務日記」でもあろうと見当つけてはいたが、その内容は私の予想を超えて、もっと興味深く面白かった。いわば警備員の仕事を通して経験した人間模様を描き、その観察眼や文章には、さすがに出版編集者である経歴が生かされている。

 

「日記」としたのは、「まえがき」に次のようにある。

『本書は正確には日記ではない。といって小説でもない。日記の体裁をとりいれた警備員のドキュメントであり、生活と意見である。全文27項目はテーマごとに分類している。読者に興味を持っていただくためであり、面白く読んでいただく工夫でもある』と。

 

著者によれば、警備員を扱ったノンフィクションはこれまでなかったという。ただし、この本は交通誘導警備員の仕事を書いているが、出版目的は著者の『生活と意見』なのだ。高齢者になってこそ得られる人生のいろいろがあるのだと思う。私自身はこの本を”ドキュメンタリーエッセイ”として読んだ。

 

付け加えるならば、著者=高齢者=ヨレヨレでは決してなかった。「ヨレヨレ日記」としたのは、多少の自虐が混じってのことだろう。

でも、私がこの仕事をしたら、トイレ事情ひとつをとっても、あっという間にヨレヨレになっているに違いない。

author:u-junpei, category:読評, 19:00
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読評 「森林官が語る 山の不思議」(加藤博二 著)

 

タイトルの脇に小さく「飛騨の山小屋から」とある。この本は、1948年9月に刊行された「飛騨の山小屋」を改題し、2017年9月に再刊された、いわば復刻本で、表紙絵は元の本のままが使われているという。

だから、山小屋の中で囲炉裏の火にあたっている男は、ドテラのような着物姿で、煙草のキセルを手にしてる風情や、背後の壁に掛けてある蓑や藁沓やガンジキなども、まさに昭和前期の風俗そのものだ。

 

著者の加藤博二は、「昭和22年秋」で結ぶこの本の『自序』に、『森林官として十数年山で暮らしてきた』と述べている。森林官というのは、ネットで検索してみると、国有林を管理する林野庁の出先機関である森林事務所の責任者だそうだ。森林の伐採管理・調査保護や取締りの警察権限がある。

その『ながい山男の生活』の中で著者が見聞したことが、本書の短編やエッセイ風の小説になっているという。つまり、そうした昭和の初め頃の時代背景なくしては、全17編が収められているこの物語集はなりたちえない。

 

たとえば、物語にたびたび出てくる「山窩(さんか)」がいる。かつて存在し、深山を移動しながら外とは隔絶した暮らしをしている民だ。里人からは「山乞食」と呼ばれ、蔑まれながらも怖れられてもいた被差別民で、一族の頭の下に統率され、仲間内には厳しい掟があったという。『山窩の娘』や『密林の父』などでは、それゆえの男や女の情深く悲しい物語が語られている。

 

それはともあれ、タイトルが「山の不思議」とあるから、これを読む前の私は、「物の怪」などが登場するオドロオドロした話を予想していた。ところが全編を通して読むとそうでもなく、むしろ人間のサガとでもいうものが描かれている。

 

『猿の酒』のように、猿が作る果実酒を人間が横取りしたり、酔って寝ている間にキセルを猿に盗られたり、あるいは猿が子守をしてるような不思議な話しはあるが、まあ、怖いというほどの話ではない。

『雪和郎』という「雪男」をイメージするような話も、山男だと分かっている。『尾瀬の旅人』には昔の長蔵小屋が出て来て、「ハイキング」などという新しい言葉(?)が使われているが、昔の尾瀬沼の様子が描かれ、現在のように観光地化した尾瀬とはまるで違う雰囲気が漂う物語であった。

最後の編『雪の湯町』は、東京からやって来る作家と山の温泉の芸妓の交流が描かれた物語だ。まさかと思うが、川端康成の『雪国』の原案のような気さえした。

 

衛星画像で見つけた山奥の家を探訪するテレビ番組がある。とても人気があるようで、その一軒家に住む人も、やはり来たかと歓迎するような面持ちが面白い。確かに山奥にあるのだが、けっこう立派な家屋だったりし、その一軒家に行くにも、車一台がやっと通れるにしても、ちゃんと山道がある。したがって、山の一軒家に住む人たちが下界と隔絶した生活をしているワケではない。

 

だが、この本の物語の当時、歩いてでしか入って行けない山奥にも、山小屋のような温泉宿があったようだ。薪で鉱泉を沸かしてる、冷たい風が吹き込むような草葺の宿だったりするのだが、その侘しいたたずまいは、かつてはさもありなんと思え、現代の生活者からすると興味深いものがある。

 

そんな物語を紡ぐ著者の文体は、表現が豊かで情景が目に浮かぶようだから、その筆力は全くシロウトの域を超えている、と思う。今どきの文章のように句読点が多く読みやすいのは、もしかして、再刊ゆえに編集者の手が加えてあるのかも知れない。

ともあれ、懐かしい「昔し話」を聞いているような、そんな雰囲気がある。いわば、今はなき、古き世の物語集なのだが、全編を通して興味深く面白く読むことが出来た。

author:u-junpei, category:読評, 18:18
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読評「呼び覚まされる 霊性の震災学 3.11生と死のはざまで」(金菱清ゼミナール編)

 

最近は、小説が読めなくなった。新聞の書評欄で紹介されていた本を、図書館に予約し、数週間も待って手にするのだが、数ページ読んだだけでつまらないと思ってしまう。2週間の借り出し期間を手元に置いておくのだが、結局は読み終えずに返却してしまうことが、数回連続した。

それでも、本を読めないのは歳のせいにしたくない。それで、ノンフィクションならば興味深く読めるのではと思いつくまま、この「霊性の震災学」を通販で求めた。

 

この本は、東北学院大学の金菱清ゼミの学生による、東日本大震災の記録プロジェクトとして、2016年に出版された。

当時、タクシードライバーが体験した『幽霊現象』を、女子学生が聞き取り調査をしたとして、マスコミを賑わしたこともあり、私もこの本の存在を知っていた。

 

また、私は同じく金菱清ゼミの「私の夢まで、会いに来てくれた 3.11 亡き人とのそれから」(2018.2刊)を読んでおり、ゼミ学生が学問の一環としてフィールドワークで取材し、それを本にしたものだということで関心があった。

 

この「霊性の震災学」を読み終えた今では、むしろ、「夢まで会いに来てくれた」の本の方が、ゼミ学生たちがいわんとする”霊性の現象”に近いのではないかと思う。

というのも、2016年刊である「霊性の震災学」では、幽霊現象=霊性とする傾向が強くあるようだ。それが、2016年の出版から2018年の出版になる間、ゼミ指導者である編者を含め、学生達のゼミ活動としての震災学が、だんだんと、より深化してきたのではと思う。

 

この本を通販で求める際にコメントを見たのだが、☆1つをつけた者があった。『タクシードライバーの幽霊体験は、ネットで読めるので、本を買う必要はなかった』というものだ。

私は、ネットにあるというのが、どの程度に本と同じなのか、ネットを確認していないので分からない。だが、この☆1つのコメントは、次の理由からも浅慮だろうとは思う。

 

「霊性の震災学」は、全8章に編集されている。8人のゼミ学生がそれぞれのテーマでフィールドワークしたものだ。女子学生がタクシードライバーの体験した幽霊現象をテーマにしているのは、その中の1章に過ぎない。

 

その第1章『死者たちが通う街ータクシードライバーの幽霊現』には、フィールドワーク中に、取材者の女子学生が被取材者達から受けたという、批判を含めさまざまな発言や出来事が書かれている。

だが、なぜ彼女がこの現象に取り組もうとしたのか、そもそもの『動機』が書かれていない。もしかしたら、最初は若者らしく、幽霊現象への単なる好奇心だったのかも知れない。

私はそれでも良いと思う。それが”霊性の震災学”へと発展し深化すればよいのだから・・・だが、彼女が幽霊現象を”霊魂”と結びつけた考察はいただけなかった。

それは、私が幽霊現象を体験したこともなく、見たこともないUFOと同様に、信じられないというだけではない。あくまでも、彼女のフィールド調査は宗教学ではなく、学生としての震災学=社会学へのアプローチだったはずだと思うからだ。

もっとも、指導者である編者も霊性=霊魂とする気配が感じられるので、ゼミ学生である彼女の考察は仕方ないかも知れない。

 

この本で私の印象に残ったのは、第6章の『672ご遺体の掘り起こし』だった。葬儀社の9人のチームが、緊急処置でいったん土葬された遺体を、火葬するために掘り起こして納棺するという作業だった。

遺体は、夏場のことでもあり、腐敗が進んでいるから、通常の神経ではとうてい作業はできないだろう。にもかかわらず、チームの誰一人として最後まで離脱しなかったという。

それは、単に職業として収入を得るためではなかろう。まさに、この本でいわんとする『霊性』への畏敬があったに違いない、と私は思いながら読んだ。

author:u-junpei, category:読評, 23:32
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律義に咲いた彼岸花

 

秋の彼岸の頃に咲くので「彼岸花」という。

今年は天候がめまぐるしかったので、どうかと思っていたが、時節通りに咲きだした。

 

毒草であるので、かつて墓場が土葬のころは、動物の害を避けるために周囲に植えられたという。これを別名で「死人花」というのは、まさにその通りで、彼岸に咲くからだけのことではないのだろう。

 

もっとも、毒性は水に何度もさらすことで抜くことができ、球根からはデンプンをとることができるのだという。それゆえ、飢饉のときの貴重な救荒植物なので、ふだんは採られないような場所や田畑の畦に植えられていたのだろう。

我が家に自生するのは、おそらくその名残であるやに思う。

 

「曼珠沙華」という天上に咲く花という縁起の良い名前があって、こちらが本名なのかも知れない。私の好きな花でもある。

 

   彼岸花数輪咲ける日古希迎ふ   嘆潤子   

author:u-junpei, category:雑記, 19:19
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ショウジョウソウ

 

最近、自転車通勤している。といっても、自宅から教室までほんの十数分だから、通勤というほど大袈裟ではない。

だが、車だと目は前方注視してるから、まず道端には目を向けない。

ところが自転車だと、ゆっくりと走らせているから、けっこういろいろなものに目がいく。中には興味深いものに出会って、面白いなと思うこともある。

 

画像は、教室の近くの元宅地だか畑だかが放置され、荒れた草地になってしまってる場所で、以前は矢車草がたくさん咲いているのを見たところだ。その道端近くの一叢の草に、赤いものがあるのが目に入って、なんだろうと気になった。

遠目には花が咲いていると思ったのだが、良く見ると、花は頭頂にあるひとかたまりの小さな粒で、その花自体は目立たない。赤くなっているのは、葉の一部が染まったように変色しているのだと分かった。

 

画像のように変色した葉のセットは、この株立ちにいくつもあるのだが、私の興味をひいたのは、赤い葉のところが、完全に線対称というかシンメトリーになっていることだった。

これらの葉には2つの形態があり、フツウの長楕円形をしたものと、それより数倍は大きくて、中央がくびれているものとがある。しかもこれらが、小さな花粒を挟んでシンメトリーで対生している。

もちろん、観察している時点では、この草の名前は知らず、不思議なもの見るワクワク感で、デジカメを向けていた。

 

ネットで調べるに当たって、『葉の一部が赤くなる植物』で検索したら、「ショウジョウソウ」だと一発で分かった。な〜んだ珍しいものではなかったのかと、すこし拍子抜けした気分になった。

 

漢字では「猩猩草」と書く。葉が赤いことにちなんでいるというが、問題は猩猩とは何かだ。

それで似たような名前で思い出したのが、高山植物のショウジョウバカマだ。私は山菜取りの際に何回か見たことがある。これは「猩猩袴」なのだが、調べるてみるまでもなく私の無意識の認識では、猩猩=狸という感じを持っていた。つまり、猩猩袴は狸が身につけている袴というイメージだった。私の見たショウジョウバカマの花は、もう終わりかけていたのだが、赤茶っぽい色をしていた。

 

だが、ネットで最初に開いたサイトでは、猩猩はオラウータンのこととあった。これだけではさっぱり分からない。なぜ赤いのかもイメージが湧かない。

 

他のサイトも見ると、猩猩は中国由来で猿に似た空想上の生物だという。この猿に似た生物は酒好きとされているようだ。ただし、中国では必ずしも赤色限定ではなく、黄色だったり豚をイメージしたりもするらしい。

また、能には「猩猩」という演目があって、やはりお酒が好きで、猿面をかぶり、全身すっぽりと赤い長い毛の衣装を着て舞うのだという。

 

ちなみに、猩猩=オラウータンというのは、中国語はオラウータンを漢字で猩猩と書くのだという。付け加えると、チンパンジーは黒猩猩、ゴリラは大猩猩だそうだ。

したがって、猩猩はもともとが伝説上の生物なのだから、このオラウータン説は採りえないだろう。もちろん、狸でもない。

author:u-junpei, category:散歩道の発見, 20:50
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読評 『安楽死で死なせてください』(橋田壽賀子 著)

 

一ヶ月ほど前、NHKの深夜の再放送で、安楽死のドキュメンタリーをやっていた。難病に冒され、安楽死を受けるためにスイスに行った若い女性(50代くらいだろうか)の話だった。

途中から見たので詳細は分からなかったが、彼女の最期の瞬間まで映像で映し出していたのがショックだった。それは、安楽死とはいえど、いわば自殺だったからだ。

それを見たことで、このごろは安楽死について考えている。終活を迎える私の歳では、少し遅いくらいだろう。

 

私は安楽死そのものの正確な知識がない。尊厳死とはどう違うのだろう。

それで、図書館を検索して読んだのが、実際に世界各国の安楽死事情をリポートした『安楽死を遂げるまで』(宮下洋一 著)だった。宮下洋一は上のNHKのドキュメントに関わる『安楽死を遂げた日本人』という本を出しており、私はむしろこちらを読みたかったのだが、地元の図書館にはまだこの本が置いていなかった。

 

『安楽死を遂げるまで』は安楽死の情報を得るには最適だったと思う。内容は、各国での安楽死と尊厳死の違い、各国でそれが法的にどのように扱われているかを知ることができた。これをブログの読評に揚げるつもりだったが、返却してしまったので詳細に誤りがでるといけないので割愛している。

 

この本の中で、今回取り上げた、橋田壽賀子の『安楽死で死なせてください』に触れていた。橋田はテレビドラマの脚本家として有名だから、あまりテレビを見ない私も知っている。それで、彼女がなぜ安楽死したいのか興味が湧き、通販で購入した。

 

橋田は1925年生まれで、この本を出した2017年は92歳。彼女は申し分なく楽しい人生を送っていると書いている。それでも痴呆症になることを怖れているようだ。そうなる前に楽に死にたいと思っているそうだ。だから、安楽死を肯定し、外国人にも安楽死を施すスイスに行き、安楽死したいと書いている。

 

この本の時点では、スイスで安楽死した日本人女性はいなかった。しかし、もし橋田が実行すれば、すごいセンセーショナルな出来事になるだろう。

もちろん、これは橋田自身の願望であって、彼女の現在の恵まれた環境を考えると、たぶん実行はないと思う。彼女のこの本の主張の真意は、死の自己決定権であって、日本にも安楽死を認める法があっても良いということなのだ。

 

また、橋田はスイスでは安楽死を認めているといっているが、安楽死と尊厳死との違いについて、彼女の認識しているところが正確なのか若干疑問を持った。

宮下の上記の本によれば、スイスの安楽死はあくまでも「自殺幇助」なのだ。橋田自身はどんな場合でも自殺願望はなさそうだから、彼女がスイスに行くことはないだろうと、この本を読み終えて思った。

author:u-junpei, category:読評, 22:44
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読評 「傑作はまだ」(瀬尾まいこ 著)

 

前作の『そして、バトンは渡された』は義理の父親と娘の物語で、実母が亡くなった後、父親が3人も替わるという、実際にはありえないと思われる作品だった。

 

http://blog.kiriume.com/?eid=1223489

 

それが、平成31年の本屋大賞に選ばれたのには、私には多少意外だった。今どきは、たいした問題提起もせず、肩もこらない軽めの小説がうけるのかとさえ思った。

 

それは、それとして、今回の作品は、実父と血のつながりがあるだけの息子との物語。結婚もせず母は私生児となる息子を産んだ。いわば成り行きで妊娠したようなわけで、父母双方に結婚の意志はない。父親は息子が成人するまで、約束した毎月10万円の養育費をきちんと送ってきたものの、そのほかは全く親子の交渉を持っていない。親として息子に会いたいとも思わなかったようだ。

母親の方も、毎月の「受け取りました」とだけ書かれた手紙に、息子の写真1枚同封するだけ。

だから、父親は息子に会った事もなく、その写真がどのような状況のものかの説明もないので、父親としての関心も湧かないできたようだ。

 

その息子が25歳になり、前ぶれもなく突然会いに来て、数週間同居する。物語はその間の親子のやり取りが中心になっている。

 

父親は小説家が生業なのだが、まるで世間とは没交渉で日常の生活感がない。たとえば、食事もサプリメントで栄養補給して済まし、書斎に閉じこもったままで運動なぞしている様子もない。いわば引きこもりのような生活をしているのだが、病気にもならないのが不思議だ。

これまでの25年間に、小説を30冊出していて、その印税の収入だけでも生活できるという。だが、隣近所はもちろん、世間とは関わりを持たない生活をしていて、良い小説が書けるはずがないと思うのだが、彼の生き様は私には理解不能だ。もちろん、母親の対応も意味不明で承知できない。

もっとも、物語の最後に、息子が会いに来た理由も明かされるのだが・・・

 

というわけで、この作品も、前作と同様に、現実にはありえないコトを書いた小説だと思った。だが、『事実は小説よりも奇なり』というから、もしかしたら、実際世間にはそういうこともアリなのだろうか。

それゆえ、この作品と姉妹作のような前作も本屋大賞になったのだとしたら、高齢者の仲間入りした私には、理解不能な時代になってきているのかも知れない。

author:u-junpei, category:-, 22:00
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読評 「地球の履歴書」(大河内直彦 著)

 

本を書店で購入するときには、面白そうかどうかは、たいていは本の帯を参考にする。

いわば、本の帯は初対面の第一印象と同じく、そこに書かれてるコピーの影響は大きい。だが、それに紹介者の顔写真まであると、出版社はその人の知名度を当て込んでるのかと興ざめしないでもない。

私は、最初、この顔写真は著者かと思った。学者にしてはやけに笑顔の印象がし、本の内容は大丈夫だろうかと思ったほどだ。この笑顔は商売人のそれだ。

 

私は、ライフネット生命会長兼CEOと肩書きされた出口冶明なる人物を知らないし、興味の対象にもない。書店で見たら、購入したかどうか分からない。この本を通販で購入したのは、結果として幸いだった。内容は大変興味深かった。

 

通販の時は、手にとって見られない分、コメントを参考にする。この本の場合も見た。

私はふつう評価の低い方が気になる。納得できる理由なら買わない。

この本には、低い評価に『思ったより専門的な記述で難解』で『期待したほどワクワクさせる内容ではなかった』とあった。

しかし、最新の科学で事柄を説明するのに、ある程度専門的な言及になるのは当然だろう。期待したほどでなかったというのは参考にならない。ワクワクするかどうかは好奇心レベルの問題であるからだ。

 

で、私が読んでどうだったかというと、専門分野の記述は無視できる程度だった。というか、無視する。そうしても、テーマの大勢に影響はない。

例えば、この本では触れられていないが、最近ブラックホールの撮影に成功したというニュースがあった。私の理解ではブラックホールは光も吸収してしまうのに、なぜ映像が撮れるのか分からない。だが、分からなくても興味深い。

 

この本では、「地球の履歴書」という視点から、8章にわたり我々が認知できる様々な地球の現象が、科学者の目から語られている。

8章の「地球からの手紙」では有馬温泉が取り上げられている。温泉は火山の近くにあるというのが常識だろうが、有馬温泉には付近に火山ない。

それなのに、90度を越える湯が1000年にも渡り噴出し続けているという。科学者魂をくすぐる「奇妙な例外」なのだそうだが、その説明にはなるほどと興味深いものがあった。

 

読者が興味を持つように説明を構築する。それは、著者が「まえがき」で取り上げた、夏目漱石の弟子で科学者であり文学者でもあった寺田虎彦の世界を、著者も追いかけたいということなのだろう。

科学者の目が捕らえたエッセイは、文学の香りもし、面白いものがあると思う。医者が小説世界を描くと、専門知識が生かされていのと同じだろう。

author:u-junpei, category:読評, 22:33
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謎の黒仁丹虫

 

ドクダミの葉に、丸い小さな粒が密集して着いていた。

私の老眼では、色は黒いが仁丹ほどの大きさで、何かの虫の卵があるとしか見えなかった。

とりあえず、デジカメで撮り、拡大してみて驚いた。

 

 

小さいが、頭も足もある。

6本の足で、昆虫であることは間違いない。

 

自分が知らないモノを、なんでも「謎」というのは安易に過ぎるだろう。

だが、見た目には小さな粒だとしか見えなかったのが、動き回りもせず、そこに生存しているというだけで、何という虫なのか分からないのはナゾというほかない。

しかも、着生しているのがドクダミの葉というのが意外だ。こんなのを食生にする虫がいるのだろうか。

 

腹部の丸い様子から、最初はてんとう虫かと思ったが、頭が出ているので、たぶん違う。

次に思い当たるのは、臭虫だが、これは庭で育てている野菜にいっぱい付くので知っている。

そのクサムシの成虫は、腹部がもうちょっと平べったい。幼生の頃は丸いのだろうか。

 

しかし、クサムシだとすれば、私としては大変困る。

殺虫剤を撒くべきか迷ったが、まだ小さいので様子を見ることにした。

 

次の日みたら、集団で移動していて、どこにいるかすぐには分からなかった。

探してみると、ジャガイモの近いところにある雑草に移っていた。

 

それで、あっさりと、靴底で集団ごと踏み潰した。

author:u-junpei, category:雑記, 19:10
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