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落花生の「お昼寝運動」

 

落下生の葉は、夜になると葉が合掌するように閉じる。これを「就眠運動」という。上の画像がそれで、午前0時48分に撮影したもの。

 

このメカニズムや理由について、学者や専門家は研究しているのだろうが、少なくとも理由については「虫の食害から身を守る」とか仮説の域をでない。

そういう理由なら、どんな植物の葉も同じような行動(?)をとるだろう。

真実は落花生に聞いてみればよかろうが、今のところ、我々人間は落花生とコミュニケーションを取る手段を持ち合わせていない。

 

 

上の画像は、午前8時03分に撮影したもの。葉は朝の日差しを受け完全に開いている。葉が開くのは、光合成のために日光を受ける面積を大きくしているのだと説明される。これは合理的かつ常識的な説明で、誰でも納得できると思う。

 

だが、下の画像はどうだろう。

 

 

これは、午後2時51分に撮影したもの。一日のうちで、気温が一番高くなる頃だ。

 

葉の閉じ方は就眠運動ほど顕著ではないが、やや合掌しかけているのが分かる。

私はこの状況をつぶさに観察しているワケではない。ここ数日間、この様子を見ていて、まず病気を疑った。

 

だが、上の現象は日中の一時的な時間内に見られるようだ。また、病気ではない証拠に、葉は元の開いた状態に戻る。その時の気温や湿度とかが関係するかも知れないが、それを詳しく調べたら面白いことが分かるかも・・・。

 

私は家庭菜園を楽しむ人だけの素人であるから、最初は「落花生は日中に葉を閉じる性質がある」と単純に考えた。それでネットで調べてみて、初めて落花生が「就眠運動」をすることを知ったくらいだ。

落花生の「就眠運動」を記載したサイトは、おそらく全てが「夜間の就眠」についてだった。

夜中に観察するくらい熱心なら、日中についても観察しているだろうにと、自分のことは棚にあげたのだが・・・

 

もしかして、私の育てている落花生のみが特別なのだろうか。あるいは、館林のような暑い地域でのみ起こる現象なのか。または、日差し+暑さ+αがあると起こるのか。

 

これは落花生自身に尋ねてみないと分からないが、私はとりあえずこの現象を「お昼寝運動」と名付けてみた。私自身もそうだが、そんな時間でもある。

author:u-junpei, category:雑記, 20:20
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読評 「死体は噓をつかない」(ヴィンセント・ディ・マイオ ロン・フランセル 満園真木 訳)

 

「全米トップ検死医が語る死と真実」という副題が付いている。10件の事例を挙げて、死体の状況や解剖から死の真相を追究したノンフィクション。

 

アメリカでは現在でも住民選挙で選ばれる検死官制度というのがあるそうだ。その検死官はたいていは葬儀屋だったり墓地職員だったりするのだが、全米の検死局の4割は検死官制度で、医者でないものでも検死をし、死因を判断しているという。そういうことでは専門の法医学者である検死医の方が、真実に近づけることはいうまでもない。

 

ところが、アメリカの刑事裁判は陪審員制度なので、検事も弁護士も彼等の心証を自分側に良くしようとする。また、司法取引という制度もあり、犯罪の真実が問われるべき裁判が、恣意的にゆがめられることもあるようだ。人種差別というアメリカ社会に根深い問題も、司法判断に影響を及ぼしてもいる。

この本でも、著者の解剖所見では被告人無罪であると思われても、有罪になったり司法取引(早く出所できる)で有罪を認めてしまう事件が取り上げられている。

 

本書では、著者が検死医として扱った数十年間の事例のなかから、特に印象深いものを取り上げたのだろう。口絵に実際の写真が数ページあるが、事件がらみの死体というのは気味の良いものではない。

 

私が興味深かった事例は、ケネディ大統領の暗殺者であるオズワルドが、実は偽者だったのではないかという問題が暗殺当初から提起されていて、彼の死から18年後になって、それを確かめるために彼の死体を掘り起こし、本人か否か検証した話や、自殺したとされる画家のゴッホが、実は他殺ではないかという著者の論証などだ。専門の検死医の目を通せば、『死体は噓を付かない』というのもうなづけた。

 

日本でも、東京都監察医務院長だった上野正彦の「死対は語る」という本が出ている。こちらは日本での出来事のなので、より身近な印象を持った記憶がある。

 

最近、新潟女児殺害の犯人が逮捕された。女児の遺体は司法解剖が行われて、電車に轢かれる前に扼殺されていたことが明らかにされた。もし、監察医の解剖所見がなかったら、犯人の思惑通り、電車に轢かれた不慮の事故で片付けられたかもしれない。

 

検死医や監察医制度には、こうした大きな成果がありながら、なり手が少ないのが現状だという。アメリカでさえ専門の検死医は500人足らずだそうだ。日本では監察医務院があって機能しているのは東京のほか2都市で、全国の監察医そのものも常勤・非常勤を含め100人くらいしかいない。

これは3Kのせいもあるが、フツウの医者や開業医に比べて待遇が低すぎるのが大きな要因らしい。医師の使命感に頼るばかりでなく、待遇改善を国家的事業として図る必要があろう。

 

ちなみに、この本では、著者に二人の名がある。検死医はヴィセント・ディ・マイオの方で、ロン・フランセルはジャーナリスト。この2人がどのような役割で著作に携わっているのかは、本書や「訳者あとがき」でも触れていないのは気になった。

また、医学や心理学の専門用語がカタカナで出ているが、簡単な説明や語注とかはない。知識に疎い私のような読者には、なんだか不親切な訳本だと思いながら読んだ。

author:u-junpei, category:読評, 23:55
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カラスノエンドウとスズメノエンドウの名前

 

上の画像は、カラスノエンドウの花。大きさは15mmくらい。小さいながらも、マメ科らしい蝶形花が可愛い。

花の根元に蜜腺があって、画像でも、アリが寄ってきている。

 

 

花の後に種のつまった莢ができた。この中の種を取り出して笛が作れる。それで、カラスノエンドウをピーピー豆というそうだ。

これはユーチューブに紹介されていて、昔の子どもは皆んな鳴らせたと言っている。私は昔の子どもではあるが、そもそもピーピー豆と言うことさえ知らなかった。

 

カラスノエンドウは和名でヤハズエンドウという。漢字で「矢筈豌豆」と書くが、小葉の先が少しへこんでいて、弓矢の矢筈の形に似ているからだという。花の先が矢筈に似ているからというサイトを見たが、おそらく、単純な入力ミスか勘違いだろう。

 

 

莢はやがて真っ黒になる。これが弾けて種が散るときに、ピチピチという音がするそうだ。黒い莢がたくさんある場所なら、音を聞く確率も高いだろう。

だが、我が家では、ほんの少し生えてるくらいなので、弾けるのを待ち続けて音を観測するわけにはいかない。

 

さて、本題だが、カラスノエンドウとスズメノエンドウの名は、カラスとスズメの大きさの違いから付けられたのだという。この説では、命名が同時進行ということになろう。

 

私の考えでは違う。二つの似ている植物の大きさ比べ以前に、カラスノエンドウの莢が黒くなったのを見て、「烏野豌豆」という名が付けらたのだと思う。

次に、スズメノエンドウを見て、カラスノエンドウより花も葉も小さいから、「雀野豌豆」と名を付けたのではないか。つまりはカラスノエンドウ先行説とでも言おうか。

 

さらに、「野豌豆」は『野原にある豌豆』という意味のように思える。だが、野豌豆は中国に由来してようだから、違う意味があるのかもしれない。

ちなみに、私は「烏の豌豆」だとばかり思っていた。

 

カラスやスズメの名が冠せられた植物は他にもある。例えば「カラズムギ」や「カラスノゴマ」は、『烏が食べる麦』や『烏が食べる胡麻』ということだそうだ。それにしても、なぜカラスなのだろう。他の鳥でもよさそうだが…。

 

たとえば、「ハトムギ」がある。これは「鳩麦」だが、種子はムギというよりトウモロコシのように丸い粒で、それと鳩がどう関係するのだろうか。

 

他方、スズメでは「スズメヒエ」がある。『雀が食べる稗』だからというが、これも雀でなくても良さそうだ。「カラスヒエ」でもかまわないだろうに…。

 

「スズメノカタビラ」は、小さな花の穂を雀の着る帷子にたとえたものだそうだ。

まあ、いにしえの清少納言も、「雀の子」を小さくて可愛いものの代表に挙げていたくらいだから、植物名にスズメを付けたくなるのは分かるような気がする。

author:u-junpei, category:雑記, 20:20
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ソラマメの観察

 

ソラマメの花が咲いてしばらくすると、アブラムシがたくさんついた。

菜園管理は無農薬主義だが、初体験のソラマメで、さすがに放ってはおけないと思い、花用のスプレー殺虫剤をかけた。ところが、効かなかったのか、翌日もまだいる。それで、樹木の葉に付いた羽虫用の殺虫剤を撒くついでに、ソラマメにもかけてみた。

 

数日経って見ると、アブラムシはいなくなったが、花のあとが上の画像のようになっている。黒く萎びれたようになっている。

 

 

ところが、その後、中からソラマメの莢が現れてきた。

 

どうやら、ソラマメは、花がいったん枯れたように萎びれてしまうが、その中では確実にマメが生長していて、大きくなって限界を越すと、黒く巻いた枯れカラを破って、本体の莢がお出ましになる仕組みのようだ。

 

殺虫剤が強くてダメになってしまったとばかり思ったので、けっこう嬉しい。「空豆」の名の通り、莢が天を向いているのも面白い。

author:u-junpei, category:家庭菜園, 19:19
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読評 「天使のナイフ」(薬丸 岳 著)

 

死刑制度を必要とするか、あるいは廃止すべきか。それぞれ論拠がある。簡単に結論してしまえば、死刑は無い方が良い。

だが、残虐に殺害された被害者の肉親の、犯人に対する憎しみは、抑えがたいものがあるに違いない。犯人を自分の手で殺してやりたいとさえ思うだろう。

 

さらに、この殺人犯が少年法で守られてた中学生で、刑事罰は問えず、その処遇や更生の過程さえ被害者側には一切知らされないとしたら・・・

また、加害者の贖罪とは・・・

それが、この小説のモチーフにもなっている。

 

薬丸岳の「夏目刑事シリーズ」をブックオフに探しに行ったのだが、本作は2005年の江戸川乱歩賞受賞作とあったので購入した。

”ついでに”のつもりだったが大当たりだった。読み終わり、久しぶりにミステリーの傑作に出会った感がした。

 

コーヒーショップを経営する主人公桧山貴志は、4歳になる娘愛美と2人の生活をあわただしく送っている。4年前に、妻祥子を13歳の中学生3人組に自宅で襲われ殺されたのだった。

その犯人だった一人が何者かに殺されて、桧山に疑いがかけられる。桧山は祥子が殺されたとき、少年たちを殺してやりたいとテレビ映像で泣き叫んでいた。

 

その気持ちは、今でも変わらないのだろうが、身の潔白と犯罪の真実を追って、桧山の犯人探しが始まる。その間に、祥子の事件につながる二重三重の殺人犯罪が明らかになっていく。

 

ミステリー小説だから、これ以上の種明かしはしないが、特に「終章」は、人権派弁護士の仮面を暴いたところで、全てが繋がる。それまでの緻密な構成は、この小説の完成度を高めている。

文庫本なので、解説(高野和明)がある。それによると、乱歩賞を決めるときに圧倒的な支持があったそうだ。なるほどとうなずけた。

author:u-junpei, category:読評, 19:19
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キツネが騙した野草『キツネアザミ』

 

キツネアザミは休耕田のような荒地でよく見かける。生命力が強いのだろう。花がアザミに似て、紫がかった赤い色を私は好ましいと思っている。

 

上の画像は我が家に咲いているもの。放っておいたら、群落と言うほど大袈裟ではないが、けっこう繁殖している。周囲からは、雑草をなぜ生やかしているのか、と思われてるかも知れない。

 

「キツネアザミ」の名の由来はいくつかある。もっともポピュラーなのは、「花がアザミに似ていて、キツネに騙されたようだ」という説のようだ。

 

キツネが積極的に人を騙すということでは、「おっちょこちょいのキツネが、あわてていたので、アザミの葉にあるトゲをつけるのを忘れた」という説がある。

なるほど、キツネアザミの葉が、羽状に深く切れ込んでいるのはアザミと同じだが、トゲはなく握っても柔らかい。

 

野草に「キツネ」がつくものは、他にも「キツネノカミソリ」や「キツネノボタン」などがある。

キツネノカミソリは、花の色がキツネ色で、細長い葉の様子がカミソリのようだから。だが、彼岸花と同じように、花と同時に葉はないから、私はこの説にはかなり疑問がある。

 

キツネノボタンは、葉が「牡丹」に似ているからだそうだ。私は服の「ボタン」だと思っていて、なんで「キツネのボタン」なのか不思議だった。これは私の無知からくる誤解だったが、もしかして、種子とかがボタンに似てるということはないだろうか。

 

キツネとともに人を騙す動物の双璧はタヌキだろう。ところが「タヌキ○○○」という野草はあまり聞かない。タヌキは愛嬌があるけれど、キツネは悪賢いと思われているからだろうか。

 

「ムジナモ」という水生の食虫植物がある。かつては館林の多々良沼は自生地で、国の天然記念物に指定されていた。ところが、現在は自然状態では絶滅してしまい、指定も取り消されている。名の由来は、葉の様子がタヌキの尻尾に似ていることからきている。

また、近くに「狢塚(むじなづか)」という地名もある。ここではムジナ=タヌキだと聞いたことがある。

 

ところが、ムジナモを改めて調べてみると、やはり食虫植物で「タヌキモ」というのがあるのを知った。つまり、植物上ではムジナ=タヌキではなかったのだ。

 

法律を学んだなら「たぬき・むじな事件」というのを承知しているだろう。狸(たぬき)と狢(むしな)は同じか別物かが争われた。大審院の裁判では別物とされ、狢だと思って狸を捕まえ、狩猟法違反に問われた被告人は無罪になった。

 

ちなみに、別物という根拠の1つは、『同じ穴の狢』という言葉があるからだという。これは狸の作った巣穴に狢が棲みつくことから来ている。

 

私は同じ動物だとばかり思っていたから、有罪になってしまうかもしれない。

では、ムジナはなにかというと、アナグマという説が有力のようだ。

 

 

上の画像は、キツネアザミの花にカメムシが引っ付いているもの。この昆虫をうっかり触りでもしたら、酷い臭気のある液を放出する。その臭気はカメムシ自身にも有毒らしく、回りにいたカメムシも一斉に逃げ出すそうだ。

 

私は、家庭菜園に、これとは違う黒色したカメムシがうじゃうじゃいて、始末に困ったことがある。

その経験から、特徴ある形からカメムシだと分かったが、なんという種類なのか検索してみた。ネットはこういうときに役に立つ。

その結果、「チャバネアオカメムシ」だと同定できた。プロなのかアマチュアなのか、奇特な研究をしている人がいるものだと感心した。

author:u-junpei, category:-, 20:00
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読評 「私の夢まで、会いに来てくれた」(金菱 清 著)

 

この本は、東北学院大学の金菱ゼミナールの学生が、震災記録として行った、3.11大地震被災者が見た「亡き人の夢」を記録したもの。

 

このゼミでは、2016年に「呼び覚まされる霊性の社会学」という、被災地で霊を乗せたタクシードライバーの幽霊体験などを記録した本を出している。当時、女子学生の特異な取材記録として新聞記事にもなり、私も読んで見たいと思った。だが、地元図書館には置いてなく、それっきりで忘れていた。

 

ところが、最近の新聞の書評欄でこの本が紹介されていて、同じ金菱ゼミの学生が取材した記録本ということで、前書を思い出し興味を持った。

 

私が、書評を読んで持った印象は、例えば、『津波で亡くなった親や子と、夢の中で会合する。それが、親子喧嘩したままで突然の災害で亡くしたとすれば、遺族には悔恨が募るばかりであろう。ところが、夢の中で愛情に満ちた日常生活の夢を見れば、亡くした悲しみも少しは慰めらるに違いない』ふうなものだった。

 

ところが、読み進めるうちに、私の中で湧いた疑問は、被災者でもなく災害とは無関係だった者が、肉親を亡くした被災者に『同苦』できるものだろうか、ということだった。

 

私も肉親を亡くした経験を持つので、想像はつく。しかし、それは同苦にはつながらない。どこか第三者の冷静な目で彼等の夢の体験記を読んでいる。遺族は夢の中の会話・さりげない日常風景に癒されるであろう。だが、その夢の内容は遺族だけのもので、読者の私には関係ない他人が見た夢にすぎない。

 

だが、夢を『見る』という発想ではなく、『見せられる』という被災者の言葉を読んだとき、なるほどと思った。

金菱教授の「あとがき」にもあるように、被災遺族にとって死者が出てくる夢は、フィクションではなくノンフィクションなのだ。死者が生者に語りかけ、生者に生きる力を与えているのだと、遺族はプラス思考で捕らえている。少なくとも、学生たちの取材に応じ、夢の内容を語った人たちはそのように思っている。

 

とすれば、読者である私が被災者遺族に『同苦』することなど、意味を持たない。つまり、この本の目的は別のことなのだ。学生にとっては取材を通して、命の大切さを学ぶ貴重な体験になった。遺族には自分の体験を語ることにより、震災の記憶を世の中に留め置くことになる。読者も大震災を忘却してはならないことを知る。それらが、この本を出版する意義でもあるのだろう。

author:u-junpei, category:読評, 17:17
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ソラマメの花と蝶

 

3月に苗を植えたときは、10cm足らずだったソラマメが、5〜60cmに生長し花が咲いた。

ツルインゲンやエンドウマメのように、ツルが巻きながら大きくなるとばかり思っていて、支柱に網を張って用意していた。ところがそうではなく、茎の成長どまりで、どうやら枝豆のように生るようだ。

 

だが、花は予想していたより大きい。さすがにソラマメだ。見事な蝶形花している。期待通りに実がなれば良いが・・・

 

 

モンシロチョウが止まっていた。蝶形花と蝶の画像とは洒落ている。驚かして逃げないように、そっと撮った。

author:u-junpei, category:-, 19:19
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読評 「刑事のまなざし」(薬丸 岳 著)

 

4月18日のブログで、薬丸岳の「刑事の怒り」を取り上げた。最初、私はその本が刑事・夏目信人シリーズ4作目の短編連作集であることを知らなかった。

その中では、夏目の娘が4歳の時に犯罪被害にあったこと。娘はその後10年間、植物人間の状態で入院していること。それらは書かれているが、その犯罪がどんなものか、その事件の後で夏目が刑事になった動機、それ以前の夏目の職業が何であったかは書かれていなかった。

 

夏目は、私が刑事のイメージに持つのとは正反対で、こう言っては本物の刑事さんには失礼だが、ドラマであるように犯罪者の取調べで大声を出したり、机を叩いて脅すようなヤクザまがいの強面でなく、理知的で穏やかな雰囲気がある。

それが、私にシリーズ第1作目の「刑事のまなざし」を読もうと思った動機になった。

 

この本では、7つの短編が納められている。実際の発表順とは違うようだが、本の題名にもなっている第7編の「刑事のまなざし」で、娘が被害者になった犯罪と、その犯人が明らかになっている。夏目が少年鑑別所の法務技官をしていたことも、第1編の「黒い履歴書」で明らかにしている。

 

この法務技官というのは、少年犯罪者の犯罪にいたった事情などを、生い立ちや置かれている環境などを調査し、処遇を判別する仕事のようだ。夏目の刑事らしからぬたたずまいの様子も、なるほどそういうことかと納得できる。いわば、シリーズ第1作本からの薬丸フアンなら、そうした背景をよく承知のうえで短編シリーズを楽しめたに違いない。

 

この本に納められた7つの短編はどれもミステリーとしての視点が面白い。中でも印象深かったのは第5編の「オムライス」だった。これは看護師で中学生の息子のいるシングル家庭を描く。母親である看護師が入院患者だった男と、再婚前提で付き合うようになる。ところが、男は母子のアパートに転がり込み、ヒモ同然の暮らしを始める。

ここまでは、世間によくある話のように思えるが、その男がアパートの火事で焼死する。息子が犯人として名乗り出る・・・

事件の背景には、恐ろしいまでの性の快楽があるのだが、ミステリー小説だから、それ以上は言わないでおこう。

ちなみに、「オムライス」は2007年に日本推理作家協会賞(短編部門)候補になっている。

author:u-junpei, category:読評, 17:17
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影が描く美

 

多々良沼の西岸に鶉古城(邑楽町指定史跡)がある。1333年に鎌倉幕府が滅んだとき、北条高時の弟・荒間朝春らが逃れて、多々良沼に突き出た岬(荒間埼という)に城を築いた。戦国時代には城主が変わりながらも、豊臣秀吉によって小田原北条が滅びるまで城があったという。現在は土塁が残っているくらいだが、公園として整備されている。

 

その中にある芝生広場に沿って、130mも続くという藤棚がある。

 

 

荒間埼のさらに先に、地続きの小島があって、浮島弁才天がある。ここにも円形の藤棚がある。

社殿や鳥居は東向きで、鳥居の先は湖のように広大な多々良沼が広がるばかりなのだが、どうしてこの向きなのだろう。鎌倉は南の方向だろうし、城の守護神なら背後(西)に城があるので、むしろ反対向きではないかと思うのだが・・・宗教的には東向きに特別な意味があるのかもしれない。

 

 

さて、本題は上の画像。

 

最初の画像の長い藤棚には、何箇所かベンチがある。ここで芝生広場を見ながらお昼の弁当にした。途中のスーパーで買ってきたのだが、箸がついてない。たぶんレジのところに置いてあったのだろうが、店員はお箸をどうぞとか一言も言わなかった。手づかみで食べられるお稲荷さんでよかった。

 

藤棚の下にいると、甘い薫りが漂う。

 

そこで1句

  藤薫る芝生広場で深呼吸   嘆潤子   

 

弁当を食いながら、最初は、中高年らしいカップルが何組もいるのを、定年後の夫婦かなとか不倫かなとか想像しながら眺めていたのだが、そのうち、芝生広場の南端に、半球状に枝を広げている大木があるのが気になった。

 

何の樹木だろうと見に行った。葉の特徴からどうやらエノキのようだ。葉に気をとられて上ばかり見上げていたのだが、フト気付くと、足元に黒々とした筋が何本も交差している。

 

この木の大きく広がった枝が、平らな芝生の上に影を落としていたのだが、こんな影を初めて見た。もう少し葉っぱが茂ってしまうと、このような黒筋の影にはならないだろうし、落葉している冬の季節では、南中高度が低すぎて、枝ぶりの美くしさを見せるような影は作れないだろう。

 

この時期の、この時間の太陽と芝生の位置で、好天気に恵まれてこそ見られる影だと思う。しかも私は滅多にここには来ないから、偶然に見られたことになる。

 

私に樹木の知識があり、遠目からでもエノキだと分かるなら、この樹に近づきはしなかった。『無知の知』とはこのことだろうか。影を見てなんだかもうけたような気がした。

author:u-junpei, category:-, 20:02
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