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館林・花山の梅林

 

館林のつつじヶ丘公園を、地元では花山と呼ぶ。館林城(尾曳城)の御堀の役割も果たしていた城沼の南岸の東側に、世界一というツツジ園がある。

ツツジだけでは一時期の集客に限られるので、西側にも公園を広げて整備したのだが、ここに200本ほどの梅林がある。

 

先週には、既に咲いているという情報を得ていた。この時期に花山に出かけることがなかったので、一度は見たいと思っていたものの、出かけたのは今日になってしまった。もう散り始めたろうと予想していたが、紅梅が最盛期だった。

 

私の感じでは、白梅と紅梅とでは、白梅が咲き数日遅れて紅梅が咲き出すように思う。ここの白梅も最盛期を過ぎて、ほとんど白梅の蕾は残っていない。

 

ところが、ネットを検索していたら、花が咲くズレがあっても、それは品種の違いからくるもので、白梅と紅梅とで咲く時期は変わらないというのがあった。確かに、数週間の違いはないとか、そういう長いスパンではそうかもしれないが・・・

 

桐生の南公園の梅林にも白梅と紅梅があるが、白梅の方が先に咲き出しているようだ。白梅は終わっても、紅梅は残っていたりする。

そこで、私のいうズレは数日から一週間くらいで咲く時期は重なるというくらいなのだが、それでも先に咲き出すのは白梅のように思うがどうだろう。

 

    梅の香の花散るきわの強さかな    嘆潤子

 

 

author:u-junpei, category:俳句, 23:23
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我が家の春二番花は

 

オオイヌノフグリ。この小さな花が咲き出すと、あゝ春が来たなと思う。

日当たりの良いところなら場所を選ばず咲くので、けっして珍しい花ではない。だが、私はこの可憐なルリ色が好きだ

 

我が家の空き地にも数輪咲き出していた。四月頃になれば、たくさん咲いているので、いちいち愛でるほどでなくなるのだが、最初の頃の今は、愛しそうに目をやるのは面白い。

そこらじゅうに咲いていたりすれば、高浜虚子が『犬ふぐり星のまたたく如くなり』と詠んだのも、なるほどなと思う。

 

   庭先に足忍ばする犬ふぐり  嘆潤子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author:u-junpei, category:俳句, 23:44
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秩父市吉田の「龍勢ロケット」

 

秩父市吉田に、日本武尊に由来する椋(むく)神社がある。ここでは例大祭の奉納として、各集落に伝わる流派が、龍勢と称するロケットを打ち上げる。

 

弟が毎年桟敷席を確保していて、私もここ数年ご招待にあずかっている。館林から秩父まで、長距離の運転はけっこうつらい歳になったが、一度見ると病みつきになるほど面白く、数少ない私の楽しみにもなっていて、昨日の祭りに出かけてきた。

 

上の画像は、打ち上げをする櫓。今年のは唐松材を使い新調したのだそうだ。

奉納の口上が終わると点火され、すさまじい轟音とともに、全長20メートルほどのロケットが発射される。

 

 

最近よくテレビで、北朝鮮ミサイル打ち上げの様子を見る。あれは音無しの画像だが、わが国も標的にしていると思うと苦々しい。失敗すればいいのにと見てるのは、私だけだろうか?

 

こちらのロケットは元来が神への奉納だから、打ち上げが見事成功しても、あるいは残念ながら失敗しても、観客の皆が拍手喝采する。

 

 

龍勢には仕掛けがある。上空数百メートルも昇ったところで、花火が弾け、積んであった唐傘や落下傘などが放たれる。

 

 

長い竹竿の部分は大きな落下傘に下げられて、ゆらりゆらりと風に流されていく。それを目で追いながら、私はゆったりした豊穣の時を楽しむ。

 

     打ち上げし龍のロケット秋祭り   嘆潤子

 

龍勢に興味があったら、こちらのサイトをそうぞ〜

http://www.ryusei.biz/?page_id=7

author:u-junpei, category:俳句, 19:29
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ユリの花

 

山百合が好きで、この時期に里山を歩く楽しみにしているが、今年はまだ山で見ていない。

画像は我が家の山百合で、去年、ホームセンターで鱗茎が安く売っていたのを購入したもの。今春、芽が出て大きく育つのを楽しみにしていた。

ようやく花の蕾を確認したところで、何回か病害虫除けの薬を散布したところ、これがアダになったのか、6個もあった蕾が変色しはじめ、開花が危ぶまれるほどになった。

なんとか開花したものの、最初から腐ったような感じで、山で見るほどの気品も香りもないのは、期待が大きい分がっかり感も増した。

隣の朝顔もダメになったので、やはり薬剤のせいかもしれない。

 

 

山百合で失敗しているので、後から出てきた白百合は薬剤散布を控えた。だが、蕾の膨らみも健全で見事に開花してくれた。香りも山の百合に劣らないほど薫ったのはうれしい。

何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということか・・・

 

  馥郁と小庭に白き百合一輪 

 

author:u-junpei, category:俳句, 19:30
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麦秋


つい最近、青々とした麦畑が風に吹かれて波打っているのを眺めていたと思うのだが、もう麦秋になっている。子どものころには考えもしない、心理的な時間の経過が早い。あまりに早過ぎて恐ろしいくらいだ。

「麦秋」を国語辞典で引くと、「麦の取り入れどき。初夏のころ」とある(新明解)。言葉の意味だけならこれでよいのだろうが、いくらなんでもこれだけでは味気ない。
それで、俳句歳時記を見ると、「麦が実り、それを取り入れる季節。秋ではないけれど、稲が秋に実るのでそれにならって麦の実るころを麦秋という」とあった(水原秋櫻子編)
加えていうならば、稲が秋の収穫時には黄金色に実ると同様に、麦も上の画像のような秋色になるので、それゆえ麦秋というのであろう。

我が館林地方の農業は、かつては稲と麦の二毛作がフツウで、この地方の粉食文化(館林ではウドン)を支えてきた。最近では後継者の問題等もあり、麦の作付け面積が減っていると聞いているが、それでも郊外に出ると、画像のような景色が広がっている。

この風景に風が加わると、麦は首を垂れる稲と違って、鋭く穂が立っているので、それが風に波立つサマは面白い。
与謝蕪村の句『麦の秋さびしき貌の狂女かな』はそんな様子だろうか?

それに比べれば私の句は、おとなしい。麦秋の季節はこれから梅雨を迎えるころで、農家では梅雨に入ってしまう前に刈り入れを急ぐようだ。
  湿り気を帯びて風吹く麦の秋

さらには、時間の経過が早過ぎではないか! と忸怩たる思いの句
  人生の終い方見ゆ麦の秋
author:u-junpei, category:俳句, 19:37
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麦浪


麦浪は「ムギのナミ」で「ばくろう」と読む。麦の穂が風になびいて波のよにうねっている様子を表わす言葉だ。したがって、この場合の麦畑は海や湖のような水の色であろうから、麦が収穫期を迎えた時の「麦秋」ではなく、その少し前の「青々とした麦畑」の季語・・・と私は当然のように思っていた。
ところが、私の持っている俳句歳時記には、「麦浪」という季語が載っていない。

そこで、ネットを検索したのだが、やはり季語ではヒットしない。どうしてだろう?
「麦浪」どころか「麦の波」を詠んだ句さえないのは不思議でならない。上の画像のように、麦畑に風が渡る様子は、とても面白く、かつ美しい。

俳人という人たちは、けっこう自然観察がお好きだろうと思っていたのだが、もしかしたら、案外と観念の世界で遊んで句をひねっているのかも。

ちなみに、「浪」という字は、波全般を指すのだろうが、とりわけ大波をいうようだ。そこで、風の強い今日こそと、郊外の麦畑に出かけた次第。



「うねり」がさまざまに変わる様子が興味深い。風は瞬間瞬間に変化している。だが、南の風とはいえ、やはり、強風は寒い。こんな状況の中で句をひねっていたら、かなり狂気や変人だったりするかもしれない。
俳人が「麦浪」を詠んでいないのは、彼らが非凡であれども常人である証拠なのだと納得。

そこで、凡人であるが、やや変人が作句
   
   青々と麦浪となり風渡る
   青々と風渡りけり麦畑
author:u-junpei, category:俳句, 20:20
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みかも万葉庭園


佐野市と栃木市にまたがる三毳山(229m)は、南北に細長く、落花生のような山容をしている。東西南北にある公園口を結んで、縦横さまざまにハイキングコースが取れるので、低山ながら魅力的な山だ。

昨日、西公園口から山裾を南に徒歩10分ほどの「みかも万葉庭園」の梅が、見ごろを迎えてようとしていた。
数は多いわけではないが、数種類の梅がほど良く配置されている。特に、万葉館前にある枝垂れ梅はなかなかのものだ。また、色鮮やかな紅梅は、青空に映えて、思わず、ほう〜と声が出るほど美しかった。

   紅梅や雲なき空に薫り立つ    嘆潤子

ネットを見ていたら、東口公園の方では、節分草や雪割草が見られるという。私は野生の雪割草を見たことがないので、花が終わってしまう前に、ぜひ行って観たいものだと思っている。
author:u-junpei, category:俳句, 23:23
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半夏生(はんげしょう)


月の満ち欠けだけで暦を作ると、1年は354日になり実際の季節とのズレが出来てしまう。それで太陽の動きによって修正する二十四節気があり、さらにそれを5日ごとに3分して七十二候とした。その1つに、夏至の日から数えて11日目を「半夏生」という。今年は7月2日。

これは「半夏生ずる」から来ている。半夏とは「カラスビシャク」の漢名で、田の畦などに生える。かつてはこの日までに田植えを終了するという目安にしたそうだ。なるほど、教室の周りの田んぼは田植えが済んでいる。

私は長い間、半夏生とは画像の「ハンゲショウ」の葉が白く変化することと思っていた。それというのも、「ハンゲショウ」は上の葉2枚くらいが白くなり、それで「半夏生」の他に「半化粧」とも書かれるのだが、カラスビシャク=半夏と咲く時期が同じで、そう思ったのもやむをえない。

それに、七十二候は中国から伝わってたものだが、日本独自の表現に変えられてもいる。そうとすれば「半夏生ずる」もハンゲショウだっておかしくない。

ちなみに、カラスビシャクはサトイモ科で、長い舌を出した蛇が鎌首を持ち上げているような姿をしている。ハンゲショウはドクダミ科で、その様子から片白草(かたしろぐさ)ともいうそうだ。
蛇が好きな人はどう思うか知らないが、私は片白草や半化粧に風情を感じる。

    雨上がり化粧直しの半夏かな      嘆潤子
author:u-junpei, category:俳句, 23:50
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富士見のザゼンソウ


赤城山の南麓、前橋市富士見町の「沼の窪」にザゼンソウの自生地がある。沢の右岸が50m×1300mほどの細長い湿地になっていて、2000株から3000株ほど出るそうだ。800mほどある木道周囲には、1000株ほど見られるという(前橋市HPの基本情報)。

この花が見られるのは、3月中旬くらいまでという。もう盛りを過ぎてしまったかと懸念しながら行ったのだが、まだ十分に楽しむことができた(3/13)
しかし、2月の頃、雪の積もった中に、ぽっかりと顔を出している時分に来られたら、もっと素敵だったに違いない。



私はザゼンソウは1株に1つの花が咲くのかと思っていた。実際にそういうのもあるが、画像のように1ヶ所に2つ3つ花を出しているのが多いようだ。
考えてみれば、ザゼンソウはサトイモ科だから、1株から複数の花芽が出てて当然かもしれない。

木道から眺めながら、他に気付いたことがある。なぜかわからぬが、仏炎苞(ぶつえんほう・紫褐色した幌状のもの)の中にある花芯(棍棒状の花序)を、木道に向けて見せているのが少ない気がした。つまり、座禅している姿を人目に隠しているのが多いように思ったのだが・・・
そこで1句

    木道に皆が背を向け座禅草     嘆潤子 
author:u-junpei, category:俳句, 23:23
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んっ 仏? 「ホトケノザ」


ホトケノザ(シソ科)は上の方の葉には柄がない。それで、葉が茎を包んで円座のように見えるので、「仏の座」と名付けたようだ。ということなら、円座に咲いている紫の小さな花は、「仏」と見ても良かろう。
ホトケノザは空き地や田畑の道端に、群れをなして咲いている。
そこで  
      
     ホトケノザ百万体の有難さ    薫風

と詠まれることになる。
だが、この花を仏とするには、けっこう地味ではあるし、有難いという実感がイマイチ湧かない。
それに、唇形をした花は、まるで舌を出し、ひょうきんな顔をしているようにも見える。

      御仏も舌を出してるホトケノザ    嘆潤子         
 
と、茶化してみたくもなる。
そもそも俳句は俳諧から出たもので、芭蕉さんはともかく、本来は滑稽味を身上としていたはずだ。上の薫風の句にしても、「百万体」などとありもしないほど大袈裟なのだ^^;

ちなみに、「春の七草」にもホトケノザが出てくるが、こちらはキク科のタビラコ(田平子)で、なぜホトケノザと呼ばれたのか、寡聞にして知らない。
author:u-junpei, category:俳句, 17:17
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