- 映画 「メアリと魔女の花」
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2017.08.01 Tuesday
ためていたシネマのポイントが失効するという通知があった。期限が来るまでぐずぐずしていたが、パアにしてしまうのはもったいないので、久しぶりに映画館に出かけた。
見たいと思った映画には時間があわず、アニメならハズレはないだろうと、「メアリと魔女の花」を選らんだのだが・・・
このアニメ映画は、監督の米林宏昌をはじめ、スタジオジブリ出身者たちが結集して作ったという。そういう目で見るせいか、ジブリの気配が濃厚だった。作画は丁寧に作られ、いかにもジブリらしい。
だが、このアニメ映画の観客のターゲットは、どの世代だろうか。ジブリ作品でいえば、雰囲気は「崖の上のポニョ」や「借りぐらしのアリエッティ」の系統のように思われた。
とすればかなり低年齢層がターゲットのようだが、「紅の豚」や「風立ちぬ」の大人の雰囲気を良しとする私には、少し物足りなく思われた。
ちなみに、夏休みなのに見ている人数は少なかったのだが、最高齢の観客は私のようだった。
- 映画 「この世界の片隅に」
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2017.01.19 Thursday
最近のアニメ映画では、「この世界の片隅に」に先行して公開された「君の名は」が爆発的な興行成績になっている。ターゲットは若者世代で、ずばりハマッタということだろう。
私が見に行ったときも、ほとんどが若いカップルだった。年寄り一人で見ているのが、なんだか気恥ずかしく思った。
これに対し、「この世界の片隅に」は鑑賞する世代の幅が広いように思う。私は昨日見に行ったのだが、レディスデイであったせいか、観客のほとんどは中高年の女性で混んでいた。
映画の背景は、戦前から戦後にわたる数年間。それを描くアニメの色彩などは水彩画風なのだが、描かれている日常の生活道具などにも綿密な考証がなされていて、細部にもこだわりがあるようだった。
後で知ったのだが、日誌風に描かれる空襲を受けた日時や回数・警報解除の時刻なども実際にあった通りで、戦艦大和で水兵がしている手旗信号も、ちゃんと意味が読めるのだそうだ。
そんな映画の内容は、ネットで確認してもらえばいいが、若年から老年まで大いに楽しめるだろう。
けっして戦争反対を声高に叫ぶような映画ではないが、たんたんとした日常生活に入り込んでくる戦争の恐怖は、観てる人誰にでも伝わってくるだろう。
それは現実的に描かれている空襲シーンだけではない。私だって戦争は知らないが、平和がどんなに良いかと思う。そういうことでは、次世代を担う若い人にこそ観てもらいたい映画だった。
映画の中で、辛くて悲しくてどうにも泣きたいときに、『涙は流すな、もったいない・・・塩が』と言うシーンがあった。そんなユーモアでかわして生きる、戦中の女たちのたくましさはどこから来るのだろう。これは印象に残った何気ない会話だった。
主人公「すず」の、ほんのりとした人物像の描きかたも良かった。これは、こうの史代の原作に忠実な脚本だからこそだろう。声は能年玲奈改め「のん」で、そうなんだ〜と思うほどはまっていた。
すすが時限爆弾で、つないでいた女の子とともに、手首を失ってしまうシーンは思わずゾクっとしてしまう。それでもやはり、もう一度見て見たいと思う映画だった。
ちなみに、私はエンドにあるクレジットは、たいてい最後まで見ることにしている。余韻にひたるということもあるが、私はこれは映画製作者への敬意だと思っている。
「この世界の片隅に」については、そんな気がなくても、上映終了まで観ているといいと思う。クレジットが流れてる背景に、時折りアニメ画像が入る。それに描かれている各シーンがとてもいい。知らないで、これを観ずに席を立つのはもったいない。
- 映画 「聲の形」
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2016.10.24 Monday
最初は、だいぶ前になるが、小6の女の子から、「聲の形」というアニメ映画があることを教えてもらった。
ネットで調べたら、面白そうだが、いつも行く映画館では上映の予定がなかった。
それで、まあ、他に見たい映画もあることだしと置いていた。
そうしたら、最近、中2の男の子だが、母親からの連絡で、友達とこれを観に行ったので塾は休みますという。
フツウなら、何考えとるのかと言うところだが、私自身が観たいと思っていたので、これは仕方ないだろうと思った。
その男の子に感想を聞くと、グッときて泣けたという。
なるほど〜。そういうことなら、私も観に行かずにはなるまい。
中2の男の子を泣かすアニメなんてあるのか、彼がどのシーンで感動したのかも、この目で是非確かめてみたかった。
同じ場面で、年取った私も感動するだろうか、その点にたいへん興味があった。
もしかして、若さから遠くなって、感動力とか感性が衰えてやすまいか?
さて、それでどうだったか・・・。
映画の内容は、小学6年生のとき、耳の不自由な少女が転校してくる。少女は口が利けないから、会話ノートでコミュニケーションしようとするのだが、結局は仲間つくりに失敗してしまう。その時、イジメ役だった少年も逆にイジメの対象に落とされてしまう。
高校生になっても、少年は回りからひっそりと友人もなく過ごしている。やがて、少女に謝りたいと手話を勉強するのだが・・・そして、いろいろあって、最後は私好みのハッピーエンド。
青春っていいなあと思ったが、泣くほどではなかった。
手話のシーンで出てくる、また会いましょうという意味の仕草は簡単で覚えてしまった。
ところが、これを何かの折に使ってみたいと思っていたのだが、右手でやるのか左手でやるのか、それがあいまいになってしまった。
ハテ・・・
感性力より、記憶力の方に問題があるようだ。
- 映画 「真田十勇士」
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2016.10.19 Wednesday
戦では、とても臆病で、戦果も偶然に過ぎなかったという、NHKの『真田丸』や世間のイメージとは180度違う、知将でも勇将でもない真田幸村を描くという予告を見たときから、どんな具合に話しをまとめるのか気になってしまった。単なる偶像破壊だけでは観客は満足するまい。
それと、最後にとんでもないどんでん返しがあるという宣伝文句も気になった。いわば、私は映画会社の戦略にまんまとハマッテしまったというわけだ。
実際に鑑賞したのだが、どんでん返しはさらにどんでん返しがあって、途中のつまらぬ展開の退屈さを吹き飛ばす楽しさだった。こうだったよと喉まで声が出そうだが、まだ上映中だし、種明かしはしないのがルールというものだろう。エンターテイメントはかくあるべしと楽しんだ。ネタバレできないのが残念だ。
この映画は、人気があったのだろうか? ずいぶんとやっていた期間があるので、現在の観客数は減っているかも知れない。
それにしても、平日の昼間とはいえ、たった二人で貸切状態は寂しいものがある。自分のことは棚にあげて言えば、他に男が一人で見ているのは、何者かと思うと妙に気になるものだ。
観客動員数を記録更新する映画もあるから、他に観客が少ない上映があっても、映画館がつぶれたりはしないだろうが…
- 映画 「シン・ゴジラ」
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2016.09.17 Saturday
ゴジラが東京で暴れまくっている。それでも、石破元防衛大臣が、自衛隊の「防衛出動」はできないと話したとか、小池都知事がこの映画の脚本をした庵野監督との対談で、ゴジラに電線を食べさせないでくれと頼んだとか・・・そんなことを読んで、この映画に興味を持ったのだが、詳しい内容は知らずに見に行った。
まあ、アメリカ大統領の特使だという、石原さとみの美女ぶりも見たいというオジンでもあった。
映画は、テンポが速く、久しぶりに怪獣映画に熱中した気分になった。
もちろん、巨大不明生物が現れてからの、政府の動きのまどろっこしさや、自衛隊の攻撃がまるで歯が立たないという焦燥感に身をゆだねるのは、このような映画を鑑賞する際のお約束事や醍醐味でもあるわけだ。
だが、ネットで、もう少し情報を集めてから見に行けば良かったと、少しばかり後悔している。
それは、映画の最後で、ゴジラは細胞が凍結し死んだように動かなくなっている。そのゴジラの尻尾の先に、人の形をした生物が生まれかけていたというのだが、私はそのシーンを漠然と眺めていたので、そのことに気がつかなかった。
私は、いくら国連軍だとはいえ、いきなり、大東京が消滅する核攻撃するのかと憤っていたので、秒読みで回避された最後では、ホッとして体の力を抜いて見ていた。
もっとも、視力も弱くなっているから、その場面は最初から身構えていないと、画像の細部は見逃していただろう。
私は映画のタイトル「シン・ゴジラ」の「シン」とは、フツウに考えて、「新」だろうと思っていた。だが、わざわざカタカナにしたのは、何か意味するものがあるのかと不審にも思っていた。
ちなみに、自衛隊の防衛出動云々から深読みして、中国に関する人物名を思っていたくらいだ。以前使っていた中学の英語教科書に、Shinという登場人物がいたし・・・
ところが、細胞で原子炉を増殖しているというゴジラからは、人の形をした生物や飛行する怪獣などが、単生殖で無数に生まれてくるという設定になっていたようだ。それは地球規模の破壊に繋がるわけで、そういう状況では国連軍の熱核攻撃もありかなと思われる。
いわば、この場合の「シン」は、「真」だったり「神」を意味することになるのだろう。私が映画鑑賞前に見とけばよかったと思ったサイトでは、そういうことに言及している。
私は映画をネタバレで見ては、面白くなくなると思っていたのだが、この映画に関しては、むしろネタバレで見るからこそ面白かったに違いない。リピーターもいるというのは、おそらくそういうことだろう。
ゴジラ映画は29作目だそうだから、この映画の続編の30作目もありかも知れない。そうなったら、ヒト形の意味するもの謎解きを知るべく、是非見に行かずばなるまい。
- 映画 「君の名は」
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2016.09.09 Friday
ジブリ作品をはじめ、私はよく劇場でアニメ映画を見る。そんな時は、気分は若いアニメファンと大して変わらないと思う・・・だからといって、オタクというにはほど遠い。映画館で若い人たちに混じっているのは、気恥ずかしくもある。
SFファンタジーも好きだから、「現実にはありえない」などとヤボなことは言わない。たいていの描写を受け入れることができる。
そういう意味では、この映画のように若い男女のココロが入れ替わっても、その入れ替わりの際に、それぞれに3年間のタイムラグがあったとしても、まあ、それもありだろうと思っている。
だが、映画の中では重要な歴史的事実としていたものに、いかに奇跡が起こったと言うにしても、事実の変更がなされてしまうのは受け入れがたい。歴史を変えないというのは、タイムマシーンでもお約束事だ。
たとえば、NHK「真田丸」で、関が原の戦いでは西軍の石田三成が勝ったことにしたら、それはやはりおかしい。せいぜい、徳川家康は戦いの最中で討死していたというくらいのフィクションで収まらないと・・・
この「君の名は」では、3年前に彗星が落ちて村が全滅してしまうという設定がある。その『事実』を、村出身だという食堂の主人に語らせて、村があった場所にも案内させている。
さらに、この災害で死亡した村人の名簿があって、そこに入れ替わりの女子高校生の名前が書かれているのを、もう一方の入れ替わりになる男子高校生が確認するシーンもある。
この前提がないと、おそらくこのアニメのモチーフである3年のタイムラグが生きてこない。
いろいろあって、8年後に二人が行き会うのだが、今では過去の記憶は朦朧としているということになっている。それでクライマックスでは、お互いを見つめあい「君の名は?」と尋ねて終わる。その後どうなったかは観客のご想像にお任せだ。
まあ、私はハッピーエンドが好みだから・・・
だが、これって、死んだものを生き返らせているわけで、あの『死亡者名簿』の存在は、どうなってるんだという疑問がまとわりついて離れない。まさか、その名簿は消滅していたり、書き換えられているとか・・・だとすると、あの食堂の主人夫婦の存在はどうなるのか?
3年のタイムラグがあるから、最後に2人が出会ったときは、男の方が三歳年下になってしまうのか? などなど。
ご都合主義でつじつまを合わせてしまうとしたら、いくらアニメであっても、いまいちいただけない。
そんな疑問を持ってしまうと、私にはこのアニメ映画が高い評価を受けていることが分からない。やはり、最低限の『道理なるもの』がないと、と思う。
もしかして、アニメオタクなら私の疑問にも適切な解説をしてくれそうに思うのだが・・・残念ながら私の回りにはいないし、ネットを見てもうなづける説明は見つからなかった。
- 映画 「駆込み女に駆出し男」&「東慶寺花だより」(井上ひさし 著)
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2015.07.01 Wednesday
ネットを見ると、映画を見たら面白かったので、それから本を読んだというのが多かった。私もそのパターンでやってみた。
映画は原田眞人監督自身が脚本を書いているが、井上ひさしの「東慶寺花だより」はいわゆる「原作」ではなく「原案」とあるように、どちらが良くできていると比較することなく、両方とも楽しむことができた。
私は映画鑑賞をする場合、ディテールがあって読者の想像力を楽します「原作」本があると、読書とどちらが先かを問わず、たいていは映画の方が見劣りするような気がする。わずか2時間程度の映画で小説世界を描ききるのは難しい。
そういう意味では、この映画は本に出てくる駆込み女などの登場人物を再構成しているので「原案」としているのだろうが、脚本が面白く役者もはまり、小説とは違った独自のエンターテイメントになっている。
駆込みの際の御用宿柏屋主人の源兵衛を映画では女主人に変えて、樹木希林が主人の風格ととぼけた雰囲気を出していていい。小説の主人公で医者見習い兼駆け出し戯作者の信次郎を、大泉洋が役どころにはまって演じていて、視覚で楽しめる映画だからこそだが、声を出して笑ってしまった。
映画の後で本を読んで、信次郎=大泉洋のイメージがどうしてもついてしまったのだが、読書の支障には全然ならなかった。映画の信次郎は小説の信次郎として楽しむことが出来た。
縁切寺というと、ここに出てくる東慶寺だけではない。群馬には徳川氏発祥の地(新田郡尾島町、現在は太田市)に徳川山満徳寺があって、江戸時代には東慶寺と並ぶ縁切寺だった。日本には女性の避難所が2つあったことになる。
東慶寺も満徳寺も創建は鎌倉時代に遡る尼寺だが、それが江戸幕府の認めた縁切寺になったのは、満徳寺には徳川家康の孫千姫、東慶寺には豊臣秀頼の娘で千姫の養女天秀尼、それぞれの入寺があったことに由来する。
東慶寺は明治維新後も男寺として継続され、現在もその歴史を伝えている。ところが、満徳寺は檀家寺でなかったので維新後は廃寺になってしまった。1994年になって本堂や門が復元されてはいるが、その間に資料も多くが喪失するなどして東慶寺ほど一般に知られていないのではないか。江戸時代の日本にというより、当時の世界で2つしかなったのだから、群馬県人としては少し残念だ。
ちなみに、小説が「花だより」になっているのは、それそれの駆け込み女に「梅の章 おせん」のように、各話の季節に咲く花名が冠されているからだ。しかし、登場する女たちは、夫の暴力などから逃げてくるひ弱な者としてだけでは描かれていない。当時の女たちが、けっして男に虐げられただけの存在ではないという史実も踏まえている。
また、全15の章(連作短編)の中に「花魁の章 惣右衛門」と「竹の章 菊治」と、男が駆け込もうとした笑い話仕立てがあるのも面白い。
- 映画 「くちびるに歌を」
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2015.03.11 Wednesday
小説と映画を比較しようと思っていた。
http://blog.kiriume.com/?eid=1223157
ところが、本は図書館で借りたもので、とうに返却してしまったから、ディティールを覚えていない。これには自分でも記憶力の悪さにあきれてしまう。まあ、そのぶん映画を純粋に楽しめたとして、よしとしよう^^;
映画では、物語の舞台である長崎県五島の島々の風景が美しく、とくに上空からの俯瞰映像が印象深かった。これは小説のありきたりの描写では、読者の空想力を持ってしても太刀打ちできないだろう。映像を見て、私の是非訪れてみたい場所のひとつになった。
小説は、したがって映画の脚本も、アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓十五の君へ〜」の歌をモチーフに書かれている。これは2008年のNHK全国学校音楽コンクールの課題曲だった。物語はこの「Nコン」の全国大会出場を夢見る島の中学生たちを描いたものだ。
小説では、いろいろな場面や事件の青春物語が描かれているのだが、映画では本筋はともかく、省略したことが多かった。それゆえ、中学生の青春群像で、彼らの心理面などが描ききれていない。まあ、2時間くらいにまとめるのだから、仕方がないことだろう。
また、出産中の先生にNコンで合唱中の歌声を届ける場面があるのだが、この物語のハイライトシーンのはずなのだが、小説と違って、はらはらどきどき感がない方法・手段の描写だったでツマラナイ。
しかし、映画の良いところは、視覚だけでなく、聴覚にも訴えることが出来ることだろう。
例えば、私は映画を見るまで、この歌の混声合唱のよさを知らなかった。アンジェラ・アキが歌ってるよりも、合唱のハーモニーの方がより魅力的に思えた。それで、映画を見て以来、ユーチューブで何度も繰り返し合唱を聞いたので、歌声が頭の中でリフレインして困っている^^;
この年のNコンで金賞を獲得したのは福島県の郡山市立郡山第2中学校で、Nコンでも4年連続全国制覇するなど合唱の名門校だそうだ。この中学の管弦楽部も日本一になっていて、ユーチューブの動画を見ても、中学生とは思えないほど素晴らしい演奏をしている。
私とはまるで関係ないのだが、この中学校の生徒らを誇りにさえ思った。海外の音楽教育の状況を知らないが、日本の中学生はたいしたもんだ。
先日の深夜、NHKTV番組の「東北未来塾」の再放送を見た。歌手の森公美子が宮城県名取市の仮設住宅で暮らす人々、主に高齢者たちなのだが、彼らで合唱団を作り1ヶ月後にコンサートを開こうというものだった。
その実現のために、大学の音楽科や交響楽団に所属する10人の女子学生がボランティアの塾生となる。若い学生が人生のずっと先輩の人々を歌唱指導する戸惑いがあるわけだが、最初の頃は上手くリードできず、森から情熱が足りないなどと指摘されている。
それからが番組のハイライトだった。学生自身が変わっていく様子がいい。彼女らの表情が生き生きとして明るくなり、被災者達と本気でコミュニケーションしていく。この場面は、森の人をひきつける魅力や実力のほどもうかがい知れるところだった。
番組のテーマだった「歌声は生きるパワーを生む」のは、合唱団に加わった年寄りメンバーだけでなく、若い学生自身にとっても同じだということだろう。それは彼女達の美しい笑顔と涙が物語っていて、見ている私の心にもグッときた。
合唱団のコンサートでは、80代くらいと思われる男性メンバーが、口を大きく開けて歌っていた。それを見て、歌は聞くだけじゃなく、声を出して歌ってみてこそなんだと思った・・・私は音痴で歌うのは苦手なのだが^^;
- 映画 「KANO」
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2015.02.12 Thursday
この1ヶ月で、野球がらみの映画を3本見た。
1本目、「バンクーバー朝日」。
1900年代初頭、カナダに移民した日系人の若者が、差別や肉体労働の貧困生活の中で野球チームを結成する。カナダ人とは大人と子どもくらいの体力差があって、いつも負けてばかりだった。あるとき、ふとっちょの相手選手の動きを見て、バンドで出塁を試みる。これが大成功して試合に勝ち続けられるようになる。
しかし、太平洋戦争が始まり日系人は収容所に送られる。選手達はバラバラになり、戦後もバンクーバー朝日が復活することはなかった。
2本目、「アゲイン 28年目の甲子園」。
甲子園出場がかかった県大会決勝戦を控え、チームメイトが暴力事件を起こし、出場を辞退する。その28年後、その暴力事件を起こした選手の娘が、『マスターズ甲子園』に出ませんかと、当時のチームのキャプテンを訪ねてくる。娘はそのスタッフをしているという設定だが、父親(故人)が事件を起こしたため、甲子園出場のチャンスがフイになったことを知らない。
映画では、段々と真相が明らかになっていくのだが・・・元高校球児が再び甲子園を目指す『マスターズ甲子園』というイベントは実際に行われている。
3本目、「KANO 1931海の向こうの甲子園」
日本統治下の台湾で、対外試合に一度も勝ったことのない弱小野球部が嘉義農林学校にあった。本土から来た監督が、日本人・台湾人(漢人)、原住民の三者三様の特徴を生かしたチームを作り上げる。
台湾大会を制し、甲子園初出場で決勝まで勝ち進む。中京商業に0−4で負けたが、『天下の嘉農! 天下の嘉農!』というシュプレヒコールが球場に沸き起こり、嘉義農林の健闘を称えた。
映画では主戦投手の呉選手が指を痛め血だらけになっても、最後まで投げ通す様子を感動的に描いている。「バンクーバー朝日」と同じく、実話に基づいて作られた映画だ。
3つの映画を見て、時代背景の考証やセットの様子が一番優れていたのは「バンクーバー朝日」だった。妹役で初々しさが役どころの高畑充希の演技が良かった。
ドラマ性が一番高かったのは、中井貴一が主役の「アゲイン 28年目の甲子園」」だろう。暴力事件の真相は泣かせる。原作が重松清の『アゲイン』だから、オヤジ泣かせはうまい^^;
「KANO」は台湾で大ヒットしたという。内地と外地や人種差別もあるのだが、それを乗り越えたシーンは、今でも高校野球が人気があるのと全く変わらない。朝鮮からも京城商業が甲子園にきているが、反日の韓国では、こんな映画は出来ないだろうなと思った。
- 映画 「マエストロ!」
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2015.02.02 Monday
1月31日公開作品。原作はさそうあきらの同名漫画だそうだが、見終わって漫画の方も読んで見たいと思った。それくらい完成度の高い映画だった。
私は、たまたま公開日に休みが取れたのだが、なにやら藪用を済ましていたら、予定より出かけるのが遅れ、夕方6時20分からの上映にギリギリ間に合った。ところが、入場券を購入する際に、どの席もおとりできますと言われて驚いた。なんで土曜日なのに誰もいないのだ?
私は西田敏行の映画なら間違いなく面白いだろうと見るつもりになったのだが、松坂桃李やMIWAがで出ているので、若い人も多いのかと思ったのだが・・・上映開始になって、老人カップルが入ってきただけだった。
もしかして、6時台の開始というのが、観客が入らない理由なのだろうか。ちょうど夕食どきだし・・・
先日、1月23日は金曜日だったが、この日も休みになったので、夕方6時半からの「アゲイン」を見た。このときは全く私一人占めで、嬉しいやら寂しいやらだったのだが、そのときは客がいないのは平日のせいだと思ったのだが、あるいは上映時間のせいなのかも知れない。あまり観客がいないと、この商売やっていけるのかと、思わず心配してしまう^^;
ともかくも、映画の最後のクレジットの最中に、場内が明るくなる前に、早々に退場する人が多い。今回は老人カップルだったが、彼らも出て行ってしまった。しかし、彼らが知ってかしらずか、この映画の場合はもったいないだろう。辻井信行がこの映画のためにピアノ曲を作り演奏しているからだ。音だけだが、このピアノの調べがよくて、映画の余韻に浸ることが出来る。それを聞かずに、暗い足元をよれよれと出て行かなくてもよろしいと思うのだが・・・
最後の方のシーンで、指揮者の天童(西田)がどうしてオーケストラを組織したのか。それは、たった一人の観客、死を迎える老女ためだったのだが・・・老人には身にしみてキツかったのかしら。
映画で流れる交響曲「英雄」と「未完成」は、佐渡裕指揮のベルリン・ドイツ交響楽団の音だそうだ。演奏する俳優達や西田の指揮振りがマッチしていて、まるで本当の演奏会で聴いているような臨場感があった。感動し思わず涙が出た。