- 丸嶽山神社の「こぶケヤキ」と神社名考
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2017.05.22 Monday
佐野市多田町にある丸嶽山神社の御神木は、異様なコブだらけの幹で、とてもケヤキとは思えない様子をしている。じっと眺めていると、これらのコブは樹齢700年の間に、御神威によって閉じ込められた邪鬼や妖鬼でもあろうか、そんな気がしないでもない。
傍らの案内板によると、栃木県の天然記念物に指定されていて、樹高は33メートルあるという。上部で主幹が2つに枝分かれしていて、もしかして、真っ直ぐ伸びる主幹が失われたかも知れない。画像の上に少し見える右側(西)の太い枝は、どうやら枯死しているようだ。
現在は左(東)の枝が上方に伸びて主幹の続きになっている。フツウのケヤキのように扇状の枝振りではないが、上部分は新緑豊かなので、全体の樹勢は衰えてはいないようだ。
コレくらいの巨樹になると、幹に空洞ができたりするものだが、このケヤキはどうだろう。根元を見る限り、がっしりと大地を踏まえている。
周りを金網の柵で囲ってあるが、東西に張り出した根は、柵からはみ出している。
柵の出入り口には鍵がかかっていないので、開けて中に入ることができる。立ち入り禁止の表札もないので、幹に触れたくて中に入ってみた。
コブにはコケが付着していて、触るとザラザラする。両手を当ててじっと耳を澄ましていたら、下方の小さな穴から蜂が出てきて、警戒音を出して私の周りを飛んだ。あわてて柵の外に出たのだが、幹の中に空洞があるのか・・・。
「丸嶽山」神社の読みは「まるたけさん」で、私は神社名は山名由来だと思っていたのだが・・・何人か出会った地元の方にも聞いたが、「丸嶽山」という山は知らないという。
地元の町名は丸岳町という。佐野図書館で小字名を調べたのだが、合併前の田沼町多田に「丸岳」という字名はなかった。「丸岳町」の由来も知りたかったが、資料には見つからなかった。
丸岳町は東武葛生線の多田駅近くの国道293号線から2キロほど北の山方向に入る。その入り口付近は丸岳町と隣り合う御榊町で、ここに御榊山神社がある。かつての村社で、928年の創建だというから、丸嶽山神社の1434年よりかなり古い。
この御榊山神社は、上の画像のように両部鳥居(鳥居の柱を支える両サイドの稚児柱と、笠木の上に屋根があるのが特徴。「両部」は真言密教にちなむ名称)から推測できるように、かつては神仏習合し、明神様と呼ばれていたという(栃木県神社録)。
現在の神社名は「みさかきやま」神社という(同・神社録)。つまり、御榊山という山があるのではなく、「御榊・山神社」というわけだろう。
ちなみに、丸嶽山神社は「山の神様」と呼ばれていたようだ。この神社も両部鳥居なので、明治以前は神仏習合していたのだろう。祭神は大山祇命で、「山の神様」と呼ばれていたこともうなずける。
とすれば、「丸嶽山神社」も「丸嶽・山神社」なのではなかろうか。
「こぶケヤキ」の案内板や栃木県神社録なども「まるたけさん」と振り仮名がふってあるので、ふつうに読めば「丸嶽山・神社」だと思うし、私が聞いた地元の人も「まるたけさんじんじゃ」と言っているので、この辺はイマイチはっきりしない。
ところが、田沼町史の資料編を調べていたら、「丸岳神社」という表記があった。また、田沼町飛駒に「山神社」があって、これには「さん」の振り仮名がある。
これらから、「丸嶽・山神社(まるたけ・さんじんじゃ)」が正しいのではないか・・・正に他所人のいらぬお世話だろう。このところは、廃仏毀釈し伝統習俗を破壊した明治政府にこそ責任を取ってもらいたいものだ。
- 六地蔵松 in Mt.Teruishi
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2017.01.11 Wednesday
今年初めての山歩きは、私の地元から近い太平山系に出かけた。
ここなら、天気予報のように午後から雨になっても、エスケープルートが取れると考えたからだ。
スタートは太平山系南麓のおよそ中間にある清水寺(せいすいじ)にした。
ここから太平山系の最高峰である晃石山(419m)に直登し、肩にある晃石神社から東西に、太平山(346m)方面や馬不入山(うまいらずさん・345m)方面へとそれぞれ縦走コースが取れる。
最初の予定では、馬不入山へ反時計回りに周回して、馬不入山山頂からは岩舟駅方向に下り、林道に出て清水寺に戻る、休憩を入れても3〜4時間位のプランだった。
馬不入山の山頂は、東西に20〜30mほどで細長くなっているが、その手前に「立花ルート」という小さな案内道標があった。
このルートは未経験だが、岩舟駅方向に下るよりは清水寺に戻る所要時間が少なくように思われた。
そこで、途中で出会ったルートを知っているという人に様子を聞いてみると、落ち葉が積もってすべる危険があるから、自分は桜峠に戻るところだという。
桜峠からは清水寺へは、「関東ふれあいの道」でよく整備されていて安全だろう。だが、私は周回するつもりでいるので、往復する意欲が湧いてこない。
山頂で出会った人にもセカンドオピニオンのつもりで尋ねてみた。沢に降りるのは急斜面になるが、その「立花沢ルート」の案内がある分岐点で沢には折れず、真っ直ぐ尾根伝いならどうということはないし、林道に出て清水寺へは近回りになるという。
というわけで、後者の案内を採用したのだが、落ち葉はかなり注意が必要なほど積もっていた。この時期は一般のハイカーには、あまり歩かれていないようでもあった。
サブルートとしては面白かったが、それでも落ち葉がかなり湿っていたり、雨でも降ってたりしたら、かなり滑ったかもしれない急斜面が続いている。
沢ルートに入らないようにというのは、正解の意見だったと思う。
さて、上の画像が今回の "intereating tree"
木の幹にコブがあるのは、山歩きでは良く見かける。これが特に私の興味を引いたのは、コブの皮が剥けて内部が露出し、その傷の内部に、何かが立ち並んでいるように見えるからだった。
赤松の幹なのだが、こんなコブにお目にかかるのは珍しい。どうやったら、こんな傷がつき、こんな具合になるのか・・・
玉原のブナ平にある大きなブナの樹の朽ちた株の、かの有名な「ブナ地蔵」が、そのように観ればお地蔵さんに見えるのと同じように、このコブの中の様子は白いお地蔵さんの立ち姿に見えなくはないだろうか。
私は最初、「白衣観音」かとも思ったのだが、六人ほど並んでいるようではあるし、「六地蔵」になぞらえてみた。
まあ、見る人の勝手ではあろう・・・
ちなみに、このコブは幹を一回りしておらず、半面だけだったのも興味深かった。
- 彦部家の合体木
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2016.03.30 Wednesday
合体木の紹介、第2弾。
彦部家は桐生市に残る中世の武家屋敷で、国の重要指定文化財になっている。
その屋敷の東北隅に、一段高くなった櫓台(物見台)があり、そこに画像の合体木がある。樹木が三種三本の合体木は珍しいというので、平成27年に桐生市の指定文化財(天然記念物)になった。
向かって右から、ムクノキ、シラカシ、エノキで、2種類2本の落葉樹が1本の常緑樹を挟んで立っている。
しかし、合体しているとされるのは幹の根元の様子からのようだ。果たして3本の幹が合着・癒着し一体となって生命維持しているかは、私はけっこう怪しいと観ている。
真ん中の木は両サイドの木から、単に押しつけられているだけではないか・・・真ん中の木が、きゅうくつだと文句を言ってる程度かと。
まあ、市教育委員会がきちんと調べ、その結果、文化財に指定したのだろうから、私などがアヤシイなどと言うのはケシカランかもしれない。
それに、この間隔で3本の木の成長のスピードから考えて、あと100年もすれば、どこから見ても合体木の名にふさわしい状況になってることだろう。
楽しみではあるが・・・
- 熊野神社の「だっこ杉」
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2016.02.20 Saturday
別な木と木が癒着し1本の木のようになっていたり、根元は2本の別な木のままで途中で幹が合体していたり、あるいはこうした両者を組み合わせたような木を見ることがままある。いわば自然界で生じた妙ともいえるが、植物の共生という科学の目で見れば、接木の手法と同じく決して不思議ではあるまい。
そんな木の1つが上の画像で、「熊野神社のだっこ杉」と呼ばれている。「関東ふれあいの道」で栃木県佐野市の塩坂峠を越えるときは、この神社の前を通るのでハイカーにはけっこう有名だろうと思う。
木の前に説明の丸い銅版があり、『杉とソネ(イヌシデ)の抱き合わせで、杉の木がソネの木を地上3mの付近まで包み込んでいる』とある。
それで、一方が他方を「抱っこ」しているように見えるのだが、上の画像は、その合着部分の様子を撮ってみた。
私はこの熊野神社前の古道を、峠の山越えで佐野と足利を結ぶ生活道というだけではなく、かつては足利や上州方面から出流山満願寺(坂東33観音17番札所)へ行く参拝道の「いづる道」と考えている。
とすれば、『樹齢約300年と推定』とあるから、この「だっこ杉」はおそらく何万人もの旅人の目に触れているはずだ。
その時、昔の人の目には、この木がどのように映っただろう。熊野の神のおわす秘蹟かと、手を合わして過ぎたのではなかろうか。そんな信仰心の深さが、この木を300年も守り続けたに違いない。
今では、この神社の直ぐ前を北関東自動車道が通っている。昔とはまるで環境が変わってしまったが、排気ガスなどに負けずに生き続けてほしいものだ。
- 陣見山で見た"モノ”
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2015.12.22 Tuesday一昨日の日曜日、埼玉県長瀞町の陣見山(531m)に登った。以前、隣の鐘撞堂山に行っているので、その山並みの続きをたどるというつもり。
秩父鉄道の波久礼駅を8時50分にスタートし、隣駅の樋口駅に着いたのが13時45分だったので、歩行と休憩を含めて約5時間の行程だった。
陣見山の頂上には埼玉放送のテレビ塔があるが、展望はまったくない。数箇所ある直登の長い急坂を、喘ぎ喘いで、やっとこさ登った割には、その成果に乏しい思いになるような山頂だった。
だが、天気が良く風もなく、尾根伝いに雑木林の陽だまりをルンルン気分でハイキングするようなところもあり、今年最後になるお山歩のせめてもの慰めになった。
上の画像は、そんな雑木林で見たモノで、これを数メートル先に見たときは、巨大な鳥か何かの動物がいると驚いた。
↑こちらも、やはり雑木林の登山道で見たモノ。一瞬、小さな妖精がいると思った。よく見ると、むしろ子どもの妖怪といったふうだが、明るい尾根道のせいか、ギョっとはしなかった。
自然が気まぐれに作った造形は、意外性があってまことに面白い。
- ブナ平の「タコの木」
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2015.08.11 Tuesday
群馬の沼田市にある玉原湿原は小尾瀬と呼ばれる小さな湿原だ。この北の尾根にあるブナ平がいい。群馬百名山の鹿俣山(1637m)に登るコースになっていて、それに登る予定でいたのだが、このブナ平が気に入って大休憩し、結局、山には登らず森林浴に変更になった。
上の画像は尾根にある長沢三角点から水源コースの分岐を過ぎてブナ平に向かったところにある。かなり大きな球形の石を樹木(ナシノキ?)の根が上部から囲んでいて、まるでタコの足が獲物を捕らえたようにしっかりと大石を押さえ込んでいる。いくつかの偶然が重ならければ、このような状況は生まれようがないが、自然の生命力の不思議さに感動する。
タイトルに「タコの木」としたが、本当はどのように呼ばれているかは知らない。
上は、ブナ地蔵と呼ばれるコケに覆われた切り株。
傍らのブナ地蔵の標識に Beech stump looking like "Jizo" とある。「地蔵のように見えるブナの切り株」という意味だろうが、地蔵が何たるか分からなければ、せっかくの英語表示でも外人さんにはやはり?だろう。
我々は5人のメンバーであったが、地蔵は地蔵でもどのように見えるか、それぞれ見解があって面白い。
賽銭箱代わりだろうか、株の前の皿にたくさんの硬貨が置かれている。石仏ならまだしも、単なる切り株に硬貨を供えるのは、これを「ブナ地蔵」と称しているからに違いなく、私としては若干違和感を覚えた。
ブナ平一帯はブナ林になっている。大木も多い。ごく身近にウグイスの凛と響きわたる声に驚いて耳を傾け、時折の微風にあふれるフィトンチッドの森林浴をしていると、クソ暑い山頂を目指すピークハンターになる気は失せてしまった。
- 石を食ったケヤキ
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2014.05.08 Thursday
画像の樹木はケヤキ。木が石を食っている^^;
この石は斜面に石垣のように区画積みした石で、長径で25cm以上はあろう。
樹木は石積みの傍らに植栽されたか、あるいは実生で育ったケヤキで、おそらく、最初は根が石積みに割り込み、さらに石をはさみ込んで、成長するにつれて持ち上げ、ついには幹の中にくわえ込んでしまったと思われる。
場所は佐野市嘉多山町(旧葛生町片山)の嘉多山公園内。ここは吉澤石灰工業発祥(明治6年)の地で、石灰採掘場だった跡地が大きな公園になっている。
蒸気機関車(東武佐野線で使われていたもの)が展示されている広場で、向かって右側に「七輪釜」跡があり、その下部にあるケヤキの大木。
公園が整備された年が分かれば、樹齢もおよそ見当が付くのだろうが・・・今後、10年20年とたつと、この石は幹の中に完全に飲み込まれてしまうのだろうか。