RSS | ATOM | SEARCH
ツバメの巣


秩父鉄道皆野駅の入口に、画像のようにビニール傘が引っ掛けられていた。中に新聞紙がなかったら、誰かのイタズラと思ったろう。
事情は直ぐに分かった。この上に、ツバメが巣を作り、ヒナが並んでいた。



2羽のヒナが見える。卵はふつう3〜7個生むようだから、もしかしたら、見えてない後ろにもいるかもしれない。
 
孵化したヒナは親鳥がせっせと餌を運んで育てる。口ばかりが大きく目立つヒナが、親から順番に餌をもらう様子を見ると、誰しも心を和ませるだろう。
ところが、巣立つまで3、4週間くらいだろうが、この間の糞の始末が問題になる。

巣が誰の迷惑にもならない場所なら良いが、たいていは人の気配のある所に作られる。猫や蛇などから守るツバメの知恵かもしれない。しかし、巣の下は糞だらけになり、しかも臭い。
それでも、ツバメは幸せを運ぶと言って、巣を作るのを容認する余裕ともいうものがかつてはあった。それは、人間の方としても自然を受け入れる知恵でもあったろう。

今ではそんな巣の多くは取り壊されてしまう。愛鳥家ならまだしも、たいていは糞害を憤慨する人の方が断然多いからだ。私だって、突然に頭上から糞を落とされでもしたら、おそらく怒るに違いない。
それで、『頭上にご注意ください』などと張り紙しても、他から文句を言われれば、巣は取り払われてしまうことになる。公共施設ならなおさらだろう。

しかし、汚されなければ良いわけで、この駅のやり方はグッドアイデアだと思う。糞受けの傘を引っ掛けられたのが幸いしたにしろ、それを実行したのは駅の管理者の心意気というものだ。
author:u-junpei, category:ちょっといい話, 14:41
comments(0), trackbacks(0), - -
最高気温


日本の過去最高気温は、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で2007年8月6日に記録した40,9度。この日、我が館林は40,3度でわずかに及ばなかった。
以来、毎年の最高気温日数や猛暑日日数等の記録では、館林は熊谷をはるかに越える全国一の猛暑都市なのに、全国的話題性において熊谷に後塵を拝している。

このムネンな思いというか、ヒクツなというべきか、猛暑マゾ気分を解消すべく、今年こそ、館林で41度越えの日本記録を更新し、名実ともに日本一になって欲しいものだ^^;

今年の最高気温39,5度は、館林が勝ち取っているし、今日は午前11時半現在で37,4度だそうだから、大いに期待がもてる。午後にはバンザイが出来るかもしれない(*^^)v

ちなみに、画像は本日の新聞記事で、全国一の気温を記録すると、館林のショッピングセンターでは、その日夕方から割引とかの特別セールをするのだという。この商売根性もアツイ!!
author:u-junpei, category:ちょっといい話, 12:30
comments(0), trackbacks(0), - -
UFOと幽霊
 

上の画像は、つい最近の上毛新聞の囲み記事。
英国国防省の2009年に廃止された「UFOデスク」の記録調書で、順次公開されてきた記録の最後(2007〜09年)が公開されたというもの。
結論的には、「地球外生命体の存在を示す情報はなく、軍事上の脅威もない」とする。

知り合いにUFOを見たことがあるという者がいて、小さな記事だが興味をひかれた。
もっとも、未確認飛行物体(UFO)は、確認されていないという意味では当然“ある”はずで、仮にそれが異星人が乗っていると分かれば、未確認飛行物体ではなくなる^^;

したがって、話題になるUFOとは、未確認の『地球外生命体の乗る宇宙船』のはずだが、これを何の目的であるか知らないが、参議院で民主党の某議員が質問主意書で取り上げたことがある(2007年)。
これに対し、政府の答弁書は
「存在を確認していない」というものだった。
ところが、このときの町田官房長官が
「個人的には絶対いる、と思っている」と発言している。おそらくジョークが多分にあるのだろう。

これは、最近話題になった首相公邸の幽霊について、やはり民主党参議院議員から質問主意書が出されていたのと、良く似ているように思える。
閣議決定された答弁書は「承知していない」だが、
菅官房長官は「幽霊が出るような気配があるか」と記者に問われて、
「言われればそうかな、と思いました」と答えている。もしも彼がいつものように固い顔して真面目に答えていたなら、ジョークにもならないだろう。あるいは逆に、すごいジョークかもしれない^^;

私は異星人は存在すると思っている。銀河系だけで2000〜4000億個ともいわれる恒星の数なのだから、当然、地球のような生物が生存できる惑星もあるわけで、異星人がいないと思うほうがおかしい。
しかし、異星人がいることとUFOがあることは別問題だ。UFOを目撃した者は、その存在を疑いはしないだろう。幽霊を見たことがある者にとって、幽霊の存在することも疑いもない事実なのだ。

だが、私は残念なことに両方とも見ていない。見てないものの存在を信じるかどうかは、その人の生き方だからなんともいえない。それにしても、UFOも幽霊も国会議員が真面目に取り上げる問題だとは思えないのだが・・・。
author:u-junpei, category:ちょっといい話, 23:00
comments(0), trackbacks(0), - -
分福茶釜 ふた落とす


『分福茶釜』といえば、狸が化けたという童話の元になった、館林市堀工にある清龍山茂林寺(曹洞宗)に伝わる守鶴和尚の茶釜だろうが、隣町の邑楽町にある高源寺(茂林寺末)にも分福茶釜の伝説があるいるという。 そんな記事が6月13日の上毛新聞に載っている。

それによると、守鶴和尚が毛だらけの手足と尾を出したまま昼寝をしていたのを、村人に見られてしまい、正体がばれた守鶴はそばにあった茶釜をかかえて東の方に逃げ去った。ところが、あわてていたものだから、茶釜のふたを落として行ってしまったという。

この伝説のオチは、ふたは高源寺にあるはずだが、ふたが見つかったという話はないそうだ、で結んでいるところだろう。
伝説とはかくあるべきと思って、記事を読んで微笑んでしまった。

つまりは、東の方に逃げて行ったということは(館林方向は東になる)、茂林寺にある分福茶釜のふたは元々のふたではない、ということを言いたいのだろうと思う^^;

しかし、伝説を検証するというヤボをあえてするなら、守鶴が初めて茶釜を世間に披露したのは、茂林寺七世住職の元亀元年(1570年)に行われた千人法会の際のことだ。
その後の十世住職の時、天正15年(1587年)に守鶴は茂林寺に茶釜を残し寺から去っている。したがって、1662年創建の高源寺にいた守鶴は、時系列からして、高源寺から茶釜を持ち出したのは、茂林寺伝説後ということになり、茂林寺には行っていない(この場合、帰ってない)はずだ。

むしろ、茂林寺を去った守鶴が高源寺にやってきて、茂林寺でと同じようにこりもせず、昼寝中に再び正体を見られてしまったということになる^^;
茂林寺と高源寺は本末寺の関係だが、約百年たったら茂林寺の大事件を皆が忘れてしまっていたか、高源寺が伝説をパクッたか、あるいは、高源寺創建当時(1662年)には、茂林寺の方にもまだ伝説がなかったのか、本当のところは伝説だから分からない^^;

ところで、守鶴は正体を見られてしまったのだが、茂林寺HPによると、『寺伝』によれば守鶴は『狢の姿』になり飛び去ったとある。
この記述は、館林双書第16巻「館林の伝説」も同じで、『本堂で昼寝をしていた守鶴は、不覚にもタヌキの正体を寺僧たちに見破られてしまった・・・私は数千年を経たムジナである・・・正体を現しムジナとなって飛び去った』とある。

ここでは、狸(たぬき)なのか狢(むじな)なのか区別していないというか、いい加減な記述というか・・・おそらく寺伝も館林双書も、江戸時代末に書かれた「甲子夜話」(松浦静山著・・・平戸藩9代藩主)に基づいているのではなかろうか。
だが、江戸時代はともかく、現代では、もうこれは狸(たぬき)だったとすべきだろう。茂林寺参道は狸の置物が並んでいるし、分福茶釜の童話もタヌキなんだから・・・

ちなみに、高源寺は邑楽町狸塚にあるが、地名は「むじなづか」で、私は子どものころ、なぜ狸をムジナと読むのか理由が分からなかった。狸と狢について興味のある方は、法律の世界では有名な「たぬきむじな事件」の大審院判決(1925年)をご覧になることをお勧めする。

ところで、守鶴は茂林寺開山となる大林正通と上野国伊香保山麓で会い、師弟の関係を結び、応永33年(1426年)に館林に来て小庵を作って住んだという。
以前、伊香保のどこだったかを何かで読んだと思うのだが、記憶がハッキリしない。そこで、ネットに載っていないかと思って調べたら、おもしろい記事があった。

http://news.gunmablog.net/e178599.html

これも、分福茶釜の「ふた」にまつわる話で、高源寺の伝説とほぼ同じだ。だが、茂林寺の伝説と整合性があって面白い。もっとも、伝説を知っている記者がそのように書いたのかもしれない^^;
author:u-junpei, category:ちょっといい話, 12:12
comments(0), trackbacks(0), - -
クニマス
 

絶滅したクニマスという淡水魚が、70年ぶりに発見されたという記事を今日の新聞で読んだ。

カタカナで『クニマス』といわれても鱒かなと思うくらいで親しみはない。それを( )でもいいから『国鱒』と書いてあれば、『なんで国が付くんや』ということで、俄然興味が湧いてくるだろう。花に国花があるように、魚にも国魚があるんだろうかという具合だ。

この記事にはカタカナだけで、なぜクニマスというかには触れていない。新聞記事としては中途半端で、なんだか不親切じゃないのと思うのは私だけではないと思うのだが・・・。

調べたら、『国魚』には近かったが、日本国ではなく、江戸時代の秋田藩だった(^_^;)
すなわち、『国鱒』は秋田の田沢湖にのみ棲息し、それを食べた藩主が、『お国産の鱒』だと言ったのが始まりらしい。それだけじゃないだろうが、国鱒は高級魚で一般庶民は滅多に口にすることが出来なかったという。

田沢湖は423mの日本一の水深のある湖だが、戦時中電源開発のために強酸性の水を引き入れたために、クニマスの生態が良く研究される前に絶滅してしまったのだそうだ。それが1940年というから、今回富士山の西湖で発見されたのは70年ぶりということなのだ。

それも、田沢湖のクニマスの受精卵を放流したしたものが生き残っていたわけだ。クニマスの発見者には、田沢湖の観光協会が500万円の懸賞金をかけていたが、1998年に期限が切れたそうだ。おしかったね〜!! 「さかなクン」とかいう発見者さん残念(^_^;)
author:u-junpei, category:ちょっといい話, 23:43
-, -, - -
社会的地位なんて・・・

(12月3日付 上毛新聞より)

おサルのナベさん、やりますなぁ。
人間社会だったら、どうなんでしょうねぇ。
「老いらくの恋」なんて、言葉遣いからしてなんとなくイヤミだし、あまり良く言われないんじゃないかなぁ。
このところは、猿社会に学ぶこともあろうかと・・・

それにしても、猿社会が「年功序列制」だったとは知りませんでしたぁ(^_^;)
author:u-junpei, category:ちょっといい話, 16:31
-, -, - -