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彫刻の小径  その2 「梟」


あまりカワイイとはいえないオバサン(?)のブロンズ裸像だが、タイトルが「梟」というのが気になって、この前を通るたびに眺めてしまう。

梟は鳥のフクロウの漢字表記だが、この鳥はかんばしい評価を受けていない。例えば「梟首」(きょうしゅ)は罪人などのさらし首だし、「梟雄」(きょうゆう)は荒々しく悪事にたけたような英雄を指したりする。

それというのも、フクロウという鳥は幼鳥の時から性質が荒く、昼はかくれ、夜に小鳥などを捕食し、長じてはその親鳥も食らうので、悪鳥・不孝の鳥として憎まれているのだという。

そんな梟をタイトルにした作者の意図は何だったのだろう。作者には、例えば、夜行性の悪女にはまった経験があって、そのトラウマを表現した・・・なんて邪推しかねないではないか^^;
垂れたオッパイやたるんだ段々腹の表現をみていると、この推測もあるいは当たってるかもしれないが、女性の表情には憎憎しげな様子はない。それゆえ、「梟」とした理由がますます不可解になってくる。


作者:分部順冶(1911−1995)は群馬県高崎市出身。
    日展で、内閣総理大臣賞の受賞や、審査員・理事等の経歴がある。
author:u-junpei, category:彫刻, 19:11
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彫刻の小径  その1 「稜」
 

館林市西郊の白鳥飛来地の多々良沼や県立美術館がある多々良地区に、かつて、大谷休泊(1521−1576)によって植林され、500町歩にも及んだという赤松の防風林(大谷原山林)があった。現在では、大分縮小されてしまっているが、その防風林の一部が幅約80m・東西2.1kmの保安林として残っている。

その赤松林の中に、『彫刻の小径』が整備されていて、38基の彫刻が点在している。その最も西のはずれにある彫刻が上の画像だ。

桐生市出身の大野春夫(1955〜)の作品で、2001年国民文化祭の彫刻展で文部科学大臣奨励賞を受賞したもの。豊満な肉体をした像だが、頭部と両腕がない。

たいていの裸婦像は頭も手もついているから、これを初めて目にしたらギョっとし、あるいは処刑された女なのかなどと想像したりして・・・^^;

だが、この作品の名が『稜』ということを知れば(傍らに小さなプレートがある)、ふ〜んと納得するかもしれない。

かなり豊満な様子だから、若い女性ではあるまい。私は中年の母親のたおやかな温かみを感じる。この像が『稜』と名付けられたイワレは知らないが、それが『山の稜線』のことだとしたら、頭部や腕はむしろないほうがいいと思う。あればどうしても顔に注意が行っていまい、山の雰囲気も変わってしまうことだろう。

そう、私が知る近在の山になぞらえれば、「三毳山」だろうな。館林から佐野方面を見ると、関東平野から山地にはいる末端にあって、万葉の昔から知られている。2,300mほどのこの山を、私は女性の寝姿のように思って眺めている。実際に歩いてみれば、急峻なところもあるが、全体的に穏やかで、雑木林が美しい。登山家の田中澄江が、「花の百名山」で取り上げている山だ。

参考:御影石、H65×W70×D60
author:u-junpei, category:彫刻, 23:23
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