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隠れキリシタン・・・? 「勝軍地蔵」その1

 
『勝軍地蔵 12月24日に降臨してくるキリストの姿』
某サイトでこのコメントを読むまでは、私は『勝軍地蔵』なるものを全く知らなかった。
実物は館林の隣り板倉町丸谷にある。私は好奇心の塊になって、それはいわば野次馬根性なのだが、さっそく出かけてきた(^_^;)。
上の画像はそのとき私が撮ってきたものだ。

さて、私は現地に行き、この地蔵尊の隣家の昭和7年生まれだという男性に、話を聞くことが出来た。こういうことは、現地の人に聞かないと分からないことが多い。

彼によると、谷田川の堤防の裾の長良神社脇にある勝軍地蔵は、彼が子どもの頃には既に堤防の外の現在地近くに移転していて、さらに現在地に移したのだそうだ。元々のところは河川敷の中で、山の上にあったのだという。
彼は山だと言うのだが、果たしてどうだろうか。おそらく塚くらいの山なのかもしれない。彼が指し示す場所には、堤防上からはその山なるものを確認できなかった。入っていけば、まだ分かるかもと彼はいうが、草ぼうぼうの中に踏み込んで確かめるほどのことでもあるまい。
蛇がいるのもイヤだしね。先日のブログのヘビの画像は、ここの堤防上で遭遇したもの(^_^;)

また、その少し離れた隣が墓地だったったという。その墓地は現在は同じく堤防の外に移転されている共同墓地だ。この墓地と長良神社の脇にある勝軍地蔵とは、目と鼻の先なのだが、やはり少し離れている。
このことから考えて、勝軍地蔵と墓地とは元々から特に関係があったわけではないのだろうと思う。

さて、この勝軍地蔵は左肩に『元禄十二年』の紀銘、右肩には『施主丸谷村中』と彫られている。
同サイトは丸谷をマリヤとわざわざ括弧して表示しているのだが、地名は「まるや」だそうだ。それはともかく、建立者が丸谷村中ということは、仮に勝軍地蔵=キリストだとすれば、一村じゅうが隠れキリシタンということになる。しかし、それはいくらなんでも飛躍しすぎで現実的ではなく、某サイトの紹介は、はなはだ怪しくなると思うのだが・・・。

私は地元民の彼に、「勝軍地蔵はキリストだというのはご存知ですか」と、ノドまででたものの、なんとなく恥ずかしくて飲み込んでしまった(^_^;)
author:u-junpei, category:雑記, 13:25
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