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反 「隠れキリシタンイズム」 その18 天年号地蔵尊
  

館林楠町にある善導寺(浄土宗)は市内屈指の古刹で、行基によって708年に開創されたと伝えられている。江戸期には、館林藩初代領主榊原康政の菩提寺となり、徳川家康が指定した関東十八壇林(浄土宗の僧になるものが修行し、僧資格を得る所)の1つに選ばれている。また、明治2年には明治天皇の勅願所にもなっている。

かつては、館林駅前に7万坪の境内地を有したというが、駅前再開発に協力するため、現在地の城沼畔に移ったのは平成2年のことだ。今度の大地震で館林は震度5弱だったが、先ごろ訪問してみたら、康政の大きな宝篋印塔墓をはじめ榊原氏の墓4基全てが倒壊してしまっていた。

画像の地蔵は、その善導寺境内にあるものだが、建立年が『元禄7甲戌天』で天年号の地蔵菩薩石像だ。像高176cm(総高230cm)もあり、石造り地蔵の中では市内屈指の大きさがある。

隠れキリシタン説によれば、天年号の石造物は、墓であるにせよその他の物であるにせよ、隠れキリシタン関係のものだとする。
これは、群馬の十字錫杖を持つ地蔵石仏を調査して、隠れキリシタンであることを統計的に明らかにしたという吉田元や、「関東平野の隠れキリシタン」を著した川島恂二などが唱える説だ。特に前者は地蔵菩薩の持つ錫杖の文様の綿密な調査を行って、統計的検討をしたもので興味深いものがある。
しかし、これを再検証もせず、統計的結果なるものを、まともに信じるわけにはいかない。

例えば、館林石仏調査研究会や館林教育委員会の調査記録を基に、天年号地蔵菩薩を集計してみると、館林市内にある全149基の石造地蔵のうち30基が天年号になっている。他は、「年」が43基、「歳」が18基、年号と干支だけのもの24基、建立年不明のもの27基、「暦」その他7基である。
したがって、天年号の地蔵は全体の20%もあり、地域差はあるものの、一般的な年年号の28,8%と比較してみても、天年号そのものが決して珍しいわけではない。

その上で更に言えば、画像の地蔵は前記年号の他に、『當寺十八世 応誉 造立之 正月廿四日 石工 甚兵衛』と刻まれていてる。当寺とは善導寺で、18世住職が応誉ということだ。
すなわち、この地蔵は、念仏講や有力篤志家の奉納のように、一般的に見られるような建立ではないところにも特徴がある。

天年号=隠れキリシタン説は、少なくとも応誉地蔵の場合には、寺の歴史や立地から見ても、合理的妥当性があるとは言えないのではなかろうか。
他の一般的な事例においても、天年号に引きずられて、特殊な解釈をすべきではない、と私は考える。それは、例えば有力寺院の歴代住職墓にも、天年号墓はかなりの数で見られるのであって、この住職はキリシタンだったなどと、簡単には指摘できないはずだからである。
author:u-junpei, category:隠れキリシタン, 16:06
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