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反 「隠れキリシタンイズム」 その27 子安観音


西国三十三観音霊場の十八番札所は京都の六角堂(頂法寺)で、聖徳太子由来の1寸8分(約5、5cm)の如意輪観音を本尊(秘仏)としている。画像は西場百観音にある同札所の如意輪観音石仏だが、子どもを抱いた子安観音の姿で彫られている。『隠れキリシタンイズム』者なら、おそらく、マリア観音だと言いたくなるであろうほど優しげな顔をしている。
果たして、秘仏とされる実物はどうなんだろう?

六角堂の秘仏は、2008年に136年ぶりに御開帳されたという。そこで、ネットにないか探してみた。それがコレ↓ ページの一番下に画像があった。 

http://blog.livedoor.jp/rockkakudo/archives/51125628.html

秘仏なのに絵葉書が出ているというので、なんだか驚いてしまう(^_^;)
画像を大きくしてみると、右手を頬に当てているが、指の甲の方で、いわば逆手スタイルだ。しかし、この秘仏は聖徳太子がお守りにして持ち歩いたという御持仏であったのだから、川島説の言うような仏教否定の姿であるわけがない。

ところで、秘仏の方の如意輪観音は、子どもを抱いた子安観音の姿をしていない。ということは、西場百観音の方は、信徒に潜んでいた隠れキリシタンが意図して子安観音(=マリア観音)の姿に建立して、密かに信仰したのだと想像をふくらます余地があるかもしれない。

しかし、現代の我々が見て、様子が似ているからと、短絡的に面白半分にマリア観音だとしてしまうのは、『隠れキリシタンイズム』に毒されていることに他ならない。
そんなふうに思うと、隠れキリシタンが信仰したマリア観音だと言われていたものが、実はそうではないということも、世間にはままあるのではないか。
下の例は、決して面白半分だったとは思わないが、隠れキリシタンと断定してしまうことの危うさを示す実例だ。

http://yugendo.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/07/post_a47d.html


http://ameblo.jp/utashie/theme-10043889386.html

これは、岩手県一関市の鍾乳洞に置かれている石仏が、『赤ん坊を抱いたマリア』のようなので、江戸時代の隠れキリシタンが密かに信仰していたものとする説が、一般にも広く信じられて来た。
観光案内や地図にもマリア観音の所在地として示されているのだが、最近の調査では、実は明治以降に奉納されたものだという。
それゆえ、江戸時代の隠れキリシタンとは無関係なはずだが、現にネットでは隠れキリシタン説が次々に引用されて普及しているから、いまさら修正しようにも不可能だろう。

また、秩父三十三観音霊場四番の金昌寺にあるマリア観音も、江戸の豪商が亡くなった妻子の面影を浮世絵師に下描きさせて、それを子安観音に建立したという史実に鑑みれば、おそらく隠れキリシタンとは無縁の観音に違いない。
しかし、これで癒される人々も多いのだから、隠れキリシタンではなく、『現代人にとってのマリア観音』というのがあってもいいような気もする(^_^;)

すなわち、子安観音=マリア観音=隠れキリシタンという短絡思考がおかしいのであって、マリアの雰囲気を持った子安観音があってもおかしくはない。なにしろ、観音菩薩は三十三身に変身して、衆生を救済するのだから・・・
author:u-junpei, category:隠れキリシタン, 14:09
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