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新・反「隠れキリシタンイズム」 その2 『元町橋供養搭』
 

「天」年号を刻んだ墓石・石仏などは探せばいくらでもある。例えば、古い寺の無縁仏を集めた墓石搭を1つ1つ丹念に見れば、意外に多く天年号が使われていることに気がつくだろう。
これらを統計的に挙げて、隠れキリシタン論者は、この天年号を隠れキリシタン判定のメルクマールの一つにしている(川島恂二著「関東平野の隠れキリシタン」P162他)

しかし、いかにキリシタンが天主教とはいえ、天年号使用がキリシタンの証だというのは、うがちすぎではないか。私には、多くの事例を検討していると、単に「流行り」かそれに類したもののように思えてならない。

先日は、亡くなった友人の墓地に、如意輪観音が彫られた天年号の墓石があるのに気づいた。君の家のご先祖は隠れキリシタンだったのかね、などともう聞くわけにはいかないが、そんな気配は私が知る限りは微塵も無い^^;

私は、反「隠れキリシタンイズム」のシリーズで、天年号はイコール隠れキリシタンではないと思う事例を取り上げてきた。新シリーズでも前回の『愛宕神社の鳥居』に続き、今回は『石橋供養搭』で、ともに宗教関連ではあるが、後者の場合はむしろ記念碑のようなものだ。隠れキリシタンを疑うのはおかしな事例であると思う。

画像は、桐生市新里町山上字城山の「山上城跡公園」(県指定史跡)のすぐ東、かつては山上城の堀割りも果たしていたといわれる、蕨沢川に架る元町橋の西詰めに建てられている。ちなみに、この石橋供養搭は桐生市指定の重要文化財になっている(元新里村指定重要文化財)

建立日を、元禄十四年辛巳天八月廿五日と刻んである。これは1701年にあたるから300年以上も前になる。
建立の経緯は、下記の桐生市文化財HPで概要を知ることができる。

http://www.city.kiryu.gunma.jp/web/home.nsf/
a170e5c408a86cd8492568ff000dcc0e/
c46eb7b584d88e6d49257114001d8bd0?OpenDocument


石橋の材料は古墳の石室に使われていた石のようだが、現在で言えば永久橋に値する石橋建設には多額の費用や、領主の許可などの手続きも要したことだろう。供養搭に刻まれた漢文4行の文からは、その困難を越えて完成した喜びが伺われる。
施主の名も数名刻まれていて、おそらく彼らは近在の有力者たちであろうが、隠れキリシタンが大っぴらに、自分たちの素性を天年号に託したとはとうてい思えない。
author:u-junpei, category:隠れキリシタン, 22:22
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