日光の社寺の壮麗で華麗な建物群を見慣れると、この輪王寺行者堂の黒塗り一色のシンプルさが際立つ。この行者堂には役行者が祀られている。創建は平安時代の山岳信仰が盛んな頃と推測されているが、輪王寺に再建記録があり、それによると天正三年(1575年)とあるそうだ。もっとも、もう1つ案内板があり、それによると天正十三年(1585年)だという。栃木県の文化財指定を受けているのだから、正確さが欲しいところだが、10年ほどの違いに、目くじらを立てることもあるまい^^;
それに、今回の本題は別のところにある。
中を覗いてみると、彩色された役行者と2匹の鬼がいる。役行者は流罪にされたけれども、自由に空を飛んで富士山に出かけたりしている、堂内は真っ暗なので、フラッシュを使った。我が国最初の超能力者だから、さぞかし怖そうなお顔かとおもったら、けっこう優しげなご老人だった。
この行者堂の左から山道が延びている。上の画像の後ろの道だが、ここが女峰山の登山口になっている。山頂までは1700mの高低差があるので、けっこう厳しい登山を覚悟しなければならないだろう。
4面にそれぞれ梵字が1字ずつ彫られた石塔が今回の本題だが、その石塔の傍らに首がとれた石仏が4体傾いて置かれている。とりあえず並べたという感じで荒れた雰囲気なのだが、こんなところにも廃仏毀釈の嵐があったのかもしれない。
どっしりと重厚な感じのする石塔だが、これは参道普請完成の記念塔のようだ。蓮華台の下の基壇(下から3段目)の側面に、次のように彫られている。
〇堂道
修複施入
惣中
願主前住
禪智院〇〇
法師〇〇
浄林進士
享保十四己酉天
四月
滝尾
當上人〇〇
最初の行の「〇堂道」の〇は尭にシンニョウなので、行の当て字と思われる。「修復」も「修複」になっている。
他の〇も読めなくはないが、人名につき正確を期すため不明にした。
建立紀年は天年号になっている。隠れキリシタン隠符説によれば、役行者を祀るお堂の参道修理にたずさった隠れキリシタンがいて、彼らは滝尾上人承認の下で、仏菩薩を表す梵字を刻んだ修復記念碑を建てたことになる。しかも、その願主の法師や世俗の人名(戒名のようだが)も明らかなのだ。
彼らが隠れキリシタンだとは、とても無理な推論だろう。
結論:天年号=隠れキリシタンの説は、ここでも破綻している。