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コノドント館


旧大間々町の「みどり市大間々博物館」は、「コノドント館」の名称がつけられている。この博物館の存在やコノドントという名前はかなり以前から知っていた。
ところが、この前を通るのは大間々経由で他に行く目的があるときで、これまで博物館の訪問を予定にいれる機会がなかった。このたびは銅山街道の日光坂を調べた際に時間が余ったので、ようやくにということだが見学することができた。

群馬県で最初の私設銀行(大間々銀行)だったという大正10年の建物は、木骨石積レンガタイル造りだそうだ。世界遺産の富岡製糸場がやはり木骨レンガ造りでできている。富岡では当時の大工職人の技術力がいかに優れていたの説明を受けたが、こちらも木骨ということでは、優とも劣らない職人の技があったのだろう。

この建物を設計したのは、我が館林出身の小林力雄(1873〜1927年)という人物で、工学校時代の青年期には小説家を志し、同じ郷土の先輩、田山花袋に原稿を送り批評を受けたりしたという(当館にあったプリント紙)。
彼は、洋風建物の建築家として大変な名声を得たというが、52歳の若さで急逝しているのは惜しまれる。桐生にあった四十銀行本店は写真で見るとたいそう美しい洋風建物だが、建て替えして現存していないというのも惜しまれる。彼の設計で現存する建物は、コノドント館だけだというから、人も物も盛者必衰の理は今も昔も変わらないということか。

正面入り口を入ると、受付があって入館料は大人200円。すぐ右が展示室の入り口で、「⇒手動ドア」の表示がある^^;
中に入ると自然展示室で、恐竜コーナーや大間々の丘陵地のジオラマがある。ツキノワグマの剥製があり近づいてよく見ようとしたら、突然うなり声をあげられてビックリした^^;
私は、栃木の某里山で休憩中に、15mくらいの近距離でクマさんと遭遇した経験がある。このときはお互いに顔を見合わせただけで紳士的にサヨナラをしたのだが、もしこんなふうに唸られたら、きっと腰を抜かしていただろうと思った。



コノドントというのは1mmにも満たない微小化石で、19世紀半ばの発見当時は何の化石か分からず、円錐状の歯=コノドントとされたのだそうだ。カンブリア紀(6億年前)から三畳紀(1億8千年前)の地層に見られるので示準化石になっている。画像のような動物だと分かるようになったのは近年のことだという。
日本では大間々在住の林信悟が1958年に発見したのが最初で、その後注目されるようになった。その化石が常設展示されているので、「コノドント館」というわけだ。

コノドントの想像図はウナギのようだが、長さは10cmくらいだという。脊椎動物の祖先だそうだから、私達人間のご先祖さまかも。それで敬意を持って顕微鏡を覗いたのだが、私の老眼では判別不能だった^^;



2階の企画展示室で、「ひげ仙人の宝箱―岩沢正作と博物学―」展をしている。岩沢正作は群馬の博物学(植物学・地質学・考古学)の草分けの人物で、前橋や高崎、最後に大間々で教員生活を送り昭和19年に亡くなっている。
素晴らしいアゴヒゲを蓄えた風貌や、式に出席した後のモーニング姿でも、そのまま遺跡調査に出かけて、そのポケットに発掘片を入れて泥だらけにしても無頓着だったとか、特に赤城山のすべてを把握していたこともあって、ひげ仙人と呼ばれたようだ。

展示室で、群馬テレビが収録した、彼を知る人達が思い出を語る番組をビデオで放映していた。変人かといえばやはり変人なのだろうが、生徒にもたいへん人気のあった先生だったようだ。
また、収集品を納めた宝箱といってもそこらにある小箱の利用だったり、タバコが好きでその箱を裏返してメモ紙に使っていたりしているのだが、それらも興味深かった。

この企画展は12月7日までやっている。
author:u-junpei, category:博物館・美術館, 21:12
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