RSS | ATOM | SEARCH
秋元別邸の雛人形展


館林は館林藩の城下町ではあるが、歴代藩主が幕府の転勤族で、せいぜい2代とか3代で交代している。したがって、代々一家で続いた藩にみられるような、伝統的な固有の文化や民俗はあまり見られない。

館林藩最後の藩主は、山形から転勤の秋元氏6万石だったが、2代目途中で明治維新を迎えている。つつじが岡第二公園は、その秋元氏の「旧秋元別邸」があるところで、わたしが子どもの頃は、「あきもとさま」と呼んでいたように思う。

その別邸で雛人形展をしている。それほど大きな建物ではないが、和室部屋や廊下まで使って、段飾りなどをところ狭しと飾ってある。
これらは市民から提供されたものだそうだ。明治から平成までのもので、江戸時代から伝わるといったものはないようだ。



メーンは7段飾りだが、私が気になった雛人形は上の画像だ。中を覗くと、お内裏様とお雛様がちゃんと並んでいる。

こうした雛人形の飾り方は、下の画像でもそうだが、「建物飾り」とでもいうのだろうか?
上の画像のものは、いつの時代ごろか分からないが、下の画像のものは「大正時代」の札が置かれてあった。フツウの段飾りとはずいぶん趣きがちがうが、この時代、このような雛人形飾りが流行ったのだろうか。



私がもうひとつ気になったのが、下の画像だ。



床の間のようなところに置いたのだろう。これには明治時代とある。2つ並べただけのシンプルな感じが私好みだが、人形はかなり繊細に出来ていて、高価な代物に思われる。
これは、男雛と女雛の位置が、明治以前の日本の伝統的な置き方になっている。いわゆる「天子は南面し東に座す」という左上位の考え方に基づく配置だ。
この雛人形以外は全て関東雛の置き方(お内裏様が向かって左、お雛様が向かって右)なので、私はとても新鮮に感じた。

関東雛でも、男雛女雛以外の「左大臣・右大臣」や「左近の桜・右近の橘」は、京雛と同じく向かって右に左大臣・左近の桜、向かって左に右大臣・右近の橘を置くのだから、右上位と左上位の思想が混在している。
男雛女雛の位置は、これは大正天皇の御成婚以来、西洋風の「右上位」の思想が取り入れられ、関東では雛人形もそれに準じて変えられたのだという。

やれ、焼き魚の頭をどちら向きに置くか、やれ、ご飯と味噌汁はどう並べるとかネットでもやかましい割には、雛人形に限っては、おしなべて寛容なのは何故だろう。
それは一般的日本人の西洋追従史観だとしたらいただけないな・・・などと思ったりするが、そんなに大袈裟に考えるまでもないのかも知れない。



秋元別邸の玄関を出たら、来たときには気づかなかった沈丁花の甘い香りがする。玄関は北側にあってこの沈丁花は半日陰になっているが、沈丁花にはそのくらいが良いのだろうか。

そう思うのは、私の自宅の前の家の沈丁花が、とても日当たりの良い庭にあって、花はまだ蕾みのままで、葉も黄色く日焼けしたようなので、よそ事ながら気になっていたからだ。我が家にあった沈丁花はそんなフウで、いつのまにか枯れてしまった。

雛祭りは桃の節句で桃の花を飾る。だが、大人が楽しむような、上の画像のように1対のお雛様だけが飾ってあるような、そんなお雛様にはむしろ沈丁花がふさわしいかもと思った。
author:u-junpei, category:博物館・美術館, 23:23
comments(0), trackbacks(0), - -
Comment









Trackback
url: トラックバック機能は終了しました。