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影が描く美

 

多々良沼の西岸に鶉古城(邑楽町指定史跡)がある。1333年に鎌倉幕府が滅んだとき、北条高時の弟・荒間朝春らが逃れて、多々良沼に突き出た岬(荒間埼という)に城を築いた。戦国時代には城主が変わりながらも、豊臣秀吉によって小田原北条が滅びるまで城があったという。現在は土塁が残っているくらいだが、公園として整備されている。

 

その中にある芝生広場に沿って、130mも続くという藤棚がある。

 

 

荒間埼のさらに先に、地続きの小島があって、浮島弁才天がある。ここにも円形の藤棚がある。

社殿や鳥居は東向きで、鳥居の先は湖のように広大な多々良沼が広がるばかりなのだが、どうしてこの向きなのだろう。鎌倉は南の方向だろうし、城の守護神なら背後(西)に城があるので、むしろ反対向きではないかと思うのだが・・・宗教的には東向きに特別な意味があるのかもしれない。

 

 

さて、本題は上の画像。

 

最初の画像の長い藤棚には、何箇所かベンチがある。ここで芝生広場を見ながらお昼の弁当にした。途中のスーパーで買ってきたのだが、箸がついてない。たぶんレジのところに置いてあったのだろうが、店員はお箸をどうぞとか一言も言わなかった。手づかみで食べられるお稲荷さんでよかった。

 

藤棚の下にいると、甘い薫りが漂う。

 

そこで1句

  藤薫る芝生広場で深呼吸   嘆潤子   

 

弁当を食いながら、最初は、中高年らしいカップルが何組もいるのを、定年後の夫婦かなとか不倫かなとか想像しながら眺めていたのだが、そのうち、芝生広場の南端に、半球状に枝を広げている大木があるのが気になった。

 

何の樹木だろうと見に行った。葉の特徴からどうやらエノキのようだ。葉に気をとられて上ばかり見上げていたのだが、フト気付くと、足元に黒々とした筋が何本も交差している。

 

この木の大きく広がった枝が、平らな芝生の上に影を落としていたのだが、こんな影を初めて見た。もう少し葉っぱが茂ってしまうと、このような黒筋の影にはならないだろうし、落葉している冬の季節では、南中高度が低すぎて、枝ぶりの美くしさを見せるような影は作れないだろう。

 

この時期の、この時間の太陽と芝生の位置で、好天気に恵まれてこそ見られる影だと思う。しかも私は滅多にここには来ないから、偶然に見られたことになる。

 

私に樹木の知識があり、遠目からでもエノキだと分かるなら、この樹に近づきはしなかった。『無知の知』とはこのことだろうか。影を見てなんだかもうけたような気がした。

author:u-junpei, category:-, 20:02
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