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読評 「植物は<知性>をもっている」(ステファノ・マングーゾ、アレッサンドラ・ヴィオラ 久保耕司 訳)

 

我々人間は、全ての生物の頂点に立ち、地球の支配者だと思っているところがある。欧米人では特にかも知れない。なにしろ、神様は御自分の姿形に似せて人間を作った。それゆえに、人間は彼が創った世界(=自然)を支配することを肯定されていると考えるからだ。

 

これは、キリスト教のような一神教の思想であって、日本のように八百万の神がいるのとは違うかも知れない。だが、人間と他の生物との比較では、人間を上位に見るところは同じだろう。

 

したがって、フツウの人であれば、自分より下位にある動物に人間と同じ知性を肯定したり、ましてや植物に知性を認めるなんてことはとんでもなく、ありえないことだと思うだろう。19世紀以前には、動物さえも知性を否定されていたのだ。

私も最初、「植物は<知性>をもっている」という題名を見たとき、知性という言葉に引っかかりを覚えた。が、同時に大変に興味を持った。

 

宗教的な思想はさておき、ホモサピエンスの歴史は20万年を遡らないし、それに対し、植物は30億年の長大な歴史がある。つまり、それぞれには時間の流れが違うのだから、進化のあり方も違ってたはずだ。

その考えに立つと、進化論で有名なダーウィンが、『植物の運動力』という著書で、植物の根の根端に優れた感覚能力があると主張し、後に「根=脳」仮説に進む実験データを集積していた事実は興味深い。

 

それが、植物研究の大きな潮流にならなかったのは、当時やそれ以後も伝統的な主流派の権威者から、ダーウィンや同じ立場の研究者たちが否定されてきたからだ。いわば、権威者である者たちは先入観や偏見に支配されていて、自己を守るためには、いくらでも守旧派になる。新しい学説を立てる者が、そのような「白い巨塔」に立ち向かうのは、今でもそうだろうし、過去の時代においてはなおさらだっただろう。あのガリレオでさえ天動説の権力に抗し切れなかったのは有名な話だ。

最近になり、ようやく植物神経生物学などの進歩によって、植物についての様々な認識が科学的に実証されるようになってきたという。

 

そこで、本書でいうように、知性とは広く『問題を解決する能力』と定義すれば、人間や動物の「脳」だけを知性の場とする、これまでの考えは色あせてくる。

著者は『すでに本書で見てきたが、あらゆる植物は、大量の環境変数(光、湿度、化学物質の濃度、ほかの植物や動物の存在、磁場、重力など)を記録し、そのデータをもとにして、養分の探索、競争、防御行動、ほかの植物や動物との関係など、さまざまな活動にまつわる決定をたえずくださなければならない。植物のこうした能力を知性といわずしてなんといえばいいのだろう?』という。

 

すなわち、本書では、人間や動物が持つのと同じ五感などの知覚・運動能力のほかに、さらに多様で豊富な能力の事例をあげ、植物に知性があることが、説得力をもって述べられる。

例えば、トマトは虫に襲われると、化学物質を放出して周囲数百mの仲間に危険を知らせるとか、ハエトリグサやウツボカズラなどの食虫(食肉)植物などは、単に条件反射しているのではなく、まさに動物狩りをしているという。

さらには、植物も睡眠するというのは、私も落花生で観察しているので頷けるものがあった(http://blog.kiriume.com/?eid=1223475)。また、植物も歳をとると、人間と同じように睡眠が浅くなるというのは興味深かった。

 

私が本書を読んで納得したのは、知性を人間のような動物の脳でしかありえないとする考えが、今日の学問やテクノロジーの発展によって、これからは急激に変化を遂げるだろうということだ。

著者は『ここ数年、植物のコミュニケーションと社会化のシステムについての研究が進んだおかげで、これまで考えられなかったような新しい応用技術を発展させられるようになるかもしれない』とし、『人間型ロボット(いわゆる「アンドロイド」)と動物型ロボットのあとに続く新世代ロボット、「プラントイド」(植物型ロボット)』や『植物をベースにしたネットワークを構築するプロジェクトがすでにはじまっている。』という。

 

私はこの本で、新しい知見の興味深い事実を知り、大袈裟なようだが知的感動を覚えている。植物に知性を認める考えは、人間と植物の関わりに、新たな展開をもたらしていくに違いない。

author:u-junpei, category:読評, 14:41
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