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読評 「早々不一」(朝井まかて 著)

 

この本の題名を見て「草々不一」が何だか分からなかった。それで興味をひかれたのがこの本を読む動機ではあった。

この本には8つの短編小説が収められていて、最後の短編の題名が本のタイトルになっている。その「草々不一」を読むまで、手紙の末尾に書く決まり文句だと、まるで気付かなかったのは不覚だった。

 

昔、というか私が小学生の時、授業で手紙の書き方を教わった。

「拝啓」で書き始めたら、「敬具」で終える。時候の挨拶抜きの「前略」で始めたら「草々」と書いて終えるのだと教わったのだ。それは、60年後の今でも忘れず、実際にも使っている。

だが、私が教わったのは、「草々」であって、「草々不一」と書くのだというのは、この小説を読むまで知らなかった。

 

「草々不一」の小説では、武士に学問は不要だと馬鹿にし、文字も読むことができず、武辺一辺倒で生きてきた御家人の前原忠左衛門は、武道はからきしダメで、学問に精を出す跡取り息子の清秀に不満があった。

ところが、その清秀は優秀で、だんだんと頭角をあらわして出世し、嫁も旗本から迎えるようになる。

 

忠左衛門は家督を清秀に譲り、妻との余生を送っていたが、麻疹に罹った妻に急死されてしまう。忠左衛門は気力もなく悄然とした生活を送るようになった。

すると、清秀が遺品を整理していて、妻が忠左衛門宛に書いた手紙が出てきたと見せにくる。忠左衛門は清秀に手紙を読んでもらうのだが、清秀のことで、お詫びしなければないことがあると続く。まるで、これまで極秘にしてきた、妻の不義を思わせるような内容が書かれているかのようなのだ。あわてた忠左衛門は、息子が手紙を読むのをストップする。

 

ところが、忠左衛門は自分では手紙を読めない。内容が内容だけに、他人に読んでもらうわけにもいかず、悶々としていたところ、ひょんなことで子ども相手の手習い塾とかかわり、妻の手紙を自分で読みたい一心で入塾する決断をする。忠左衛門は54歳だから五十の手習いということだ。

 

きっかけは、次のようなシーンだ。忠左衛門は自分宛の手紙であることは秘して、片仮名は読めるのだと胸を張り、「不一」を「フトイチ」と読んで、次のように諭される。

『これは漢字の二文字にて、不一と読みます。意を尽くしきっておりませぬが、そこは忖度なさってくださいとの決まり文句です。このお方はかなり達筆でおられるので少々てこずるやもしれませぬが、さほど難しい漢字を使うておられるわけではわりません。それは内容をよまずとも、見て判別できます」

恐るべしと、忠左衛門は目の前の女師匠をみかえした。

『ですから、ぜひ、ご自分でお読みになれるようお学びなさいませ。前原様」

 

なるほど〜。「不一」とはそのような意味かと、私もこの歳になって始めて知り、納得。

 

妻の三回忌が済んだ後、塾の子ども達に親分と言われながらも猛勉強した忠左衛門は、ついに妻の手紙を読む。さて、何が書かれていたか、それを言っては、読書人のマナー違反だろう。

だだ、私は思わず目頭が熱くなったとだけは・・・

 

他の7編も良かった。さすが直木賞作家の「朝井まかて」だなと思う内容だった。とりわけ「妻の一分」という短編は、唐之介という犬が語っているのだが、飼われている赤穂浪士の大石家にまつわる物語で、趣向は夏目漱石の「我輩は猫である」風で面白い。

 

私は最初、犬がしゃべっているとは分からず読んでいたのだが、犬だと分かってからは俄然面白くなった。唐之介の次のセリフには、我が家にいた犬を思い出して、なんだか親近感さえ覚えた。

大石内蔵助は寒がりで、寒い寒いと背を丸め、綿入れを重ね着している。それを三歳の娘が蓑虫のようだといい、家族皆で笑っているシーンで、

『一緒に笑いましたですよ。え、犬が笑うかって。侮ってもらっちゃあ困りますよ。犬だって笑いも泣きもするし、しようと思えば愛想笑いも噓泣きもできまさ。』

 

さて、我が家の「リク」もそうであったかどうか・・・

author:u-junpei, category:-, 23:11
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