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読評 「国境を越えたスクラム」(山川 徹 著)

 

副題に「ラグビー日本代表になった外国人選手たち」とある。タイトルよりも、これが私が読んでみようと思う動機になった。

 

W杯での日本代表の大活躍で、『にわかラグビーファン』が増えたという。私もファンになったというほどではないが、大いに関心が湧いたというのは本当だ。

 

私の最初の日本チームの印象は、多くの外国人が代表メンバーになっていることだった。それを見て、プロ野球のようにラグビーにも助っ人ガイジンがいるのかと思った。

そうだとすれば、私には、いわばガッカリすることだったが、代表チームのキャップテンが外国人で、しかも流暢な日本語を話すことも不思議だった。それは大変興味深いことで、さらに外国人選手は日本人選手以上に、日本代表であることに誇りを持っているようだったのには驚くとともに好感を持った。

この本を読む動機は、こうした何故?があったからだ。

 

この本で、ラクビーには独自の代表選抜があることを知った。

日本代表だけでなく、W杯に参加した代表チームは多国籍化しているという(アルゼンチンのみ同国人)。しかも、外国人が他のスポーツのように、いわば助っ人選手であることとは様相がちがっている。

 

その代表選手になれる条件は3つあって、国籍を問わず、そのいずれかを満たせばよい。

 ―仞乎呂その国

◆[梢董∩追稱譴里Δ前貎佑その国出身

 その国で3年以上継続して居住、または通算10年にわたり居住(3年居住要件は日本大会以後は5年)

 

これは、ラグビーがイングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランドの四国で構成されたイギリスが発祥の地であることや、ニュージーランドやオーストラリアなどのイギリス植民地に広まったことが歴史的背景にあるという。いわば多国籍チームになることを受け入れる素地は、もともとあったといえる。

 

日本の場合は、今から30年ほど前、2人のトンガ人の留学生(ソロバン習得をトンガ国王に命じられてだそうだ)が最初で、彼等が、後に代表入りするようになってからだ。

もちろん、先駆者の苦労が並大抵でないことは、ラグビーの世界に限ることではない。それは逆に日本から外国に渡った事例が如実に物語っている。先駆者が成功して道を開き、それに後輩たちが続くという図式は変わらない。

 

この本は、そうした事例を丹念に取材し、いわば”One for all, All for one”といわれるラグビーの世界で、外国人選手が受け入れられるようになった過程を描いている。その取材には、著者自身が高校・大学とラグビーに取り組んだことが大いに役立っている。

 

今、何かとお隣の韓国とはギクシャクしている。日本代表には韓国人もいて、今回のW杯でそうした雰囲気を吹き飛ばすような活躍をしているのは、将来の韓日関係に好材料になるに違いないと思う。若者の多くは私のような年配者と違い、過去にとらわれない柔軟さを持っているからだ。

 

この本は、2019年8月に刊行されている。当然ながらW杯の結果を知らない前の取材なのだが、日本代表の好成績が予想される内容だったのは、きちんとした良い取材に基づいて書かれていたからだろうと思う。日本の良いところも悪いところもちゃんと書いている。

 

また、ラグビーが15人で、それぞれ1〜15の番号に配置された選手ごとの役割があることは、『にわかファン』にもみたない私には新鮮な知識だった。

私は、ラグビーは図体が大きく頑丈にできている男たちのスポーツだと思っていた。が、決してそうではなく、ポジションの役割による総合力が問われるのだと知った。

 

著者の「あとがき」によれば、ラグビーとは『・・・チーム内で自分の存在意義を見出し、承認欲求が満たされる・・・』スポーツなのだという。

どおりで、京都伏見工高をモデルにしたという映画『スクール・ウォーズ』で、どうしょうもない不良生徒たちがラグビーを通して立ち直り、成長していく。この高校で起こった出来事は、監督と生徒の単なる根性モノではなく、各人が役割を通して、自己を肯定的に捉えられる、ラグビー本来の教育効果なのだと合点がいった。

author:u-junpei, category:読評, 21:12
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