RSS | ATOM | SEARCH
読評 「明智光秀は天海上人だった!」(大野富次 著)

 

ネットだけを見ると、「明智光秀=天海」説は大勢を占めているようだ。だが、証拠としてどれも同じような事例を挙げているので、「最初のモノ」が検証するでもなく拡散されているように思える。

 

例えば、この説では光秀が本能寺の変以後、生き延びていることが前提である。その証拠として、比叡山の松禅寺には『奉納光秀元和元年二月十七日』と刻まれた石灯籠があり、光秀生存の重要資料としている(139ページ)。つまり、光秀の山崎での死から33年後の日付になる。

だが、元和は7月13日から始まるので、2月17日はまだ慶長20年である。したがって、石灯籠には慶長二十年二月十七日と刻まれていなければならない。それゆえ、著者の記述は合理性がなく、この点で証拠能力は失われてしまうだろう。

 

だが、「慶長二十年二月十七日」と刻まれていたらどうか。この石灯籠は「比叡山 松禅寺 光秀 石灯籠」で検索するとヒットする。しかし、比叡山に「松禅寺」という寺が、そもそも存在してなかったらどうだろう。当然、松禅寺にある「石灯籠」の存在もない。比叡山・松禅寺で検索したがヒットしなかった。所在地を地図検索しても同様だった。おそらく、比叡山に松禅寺は実在しない。

私が、他の者が実地検証もなく誰かの記述を引用している、と疑うのはこういうことだ。

 

本書のように、これでもかというほど様々な証拠事例をつきつけられても、おそらく全てにおいて反論が可能だろう。なによりも私が納得できないのは、「明智光秀=天海」説では、天海の没年は分かっているので、光秀の生誕年に諸説あるが、一番有力だとされてる享禄元年(1528年)説を取ると、天海は116歳で没したことになる。医学が進歩した今日でさえ疑問となる高齢なのだ。

ちなみに、信長は48歳、秀吉は61歳、家康は73歳で亡くなっている。

 

「邪馬台国は九州にあった、いや、畿内だ」とかいうように、古代史の謎解きはかってな想像が許されて面白い。だが、こうだと決め付ける断定的な表現の多用は、論者の牽強付会が強く、何だか胡散臭さを感じてしまう。読了してみて、この本書とて例外ではなかった。

 

今年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公が明智光秀でなかったなら、この本を手に取ることはなかっただろう。だが、ドラマの今後の展開は分からないが、明智光秀が天海ではなかったとしても、本書で信長との対比で描く光秀の人物ということでは十分に興味深かった。

author:u-junpei, category:読評, 22:44
comments(0), -, - -
Comment